何を目的とするかによりますが、
役者を自分を有名にするための道具として使わない場合、本来の役者というものにフォーカスすると、匿名にするべきという話。
名前を売ることや、一度顔が売れてしまうと人物のイメージを損ないます。
つまり、結果として広まってしまった例を除いて、そもそも役者として、名前を売るという活動自体が本質から遠ざかる行為であり、
その様はビジネスマンとして営業を行い名刺を配っているか、バイトがポケットティッシュを配っているという商業・アイドル的な行為であると結論づける事ができます。
作品のクオリティを重視するのであれば、話題性だけではなく手広く多様なキャスティングをするべきであり、
そして可能ならそのキャストの名前を秘匿した方が望ましいと言えます。
役者 と聞いて代表作は?と聞く人は本質から見ると間違った行動で、
役者=有名を目指すべき存在と思っているのは全く知識がなく日本独自のアイドル的価値観が植え付けられていると言えます。
実際に、日本の俳優はアイドル的PRが非常に濃く、アイドルと俳優の境は曖昧で、名前で売るビジネスに偏重している為、無知な大衆もそういうものだと認識するのは無理もありません。
ですが、例えば演劇の祖ギリシャでの成り立ちとしては、宗教・悲劇・一般人が神のために演じたのが始まりなので、原点から見ても同じことが言えます。
つまり、声優が俳優になったり、その逆があると大衆は話題性だけでキャスティングした!
と言われガチですが、そもそも日本の俳優・声優は厳格な美学と音声に関する知識の養成は無いので、その境は無いも同然ですし、
日本の商業声優の起源は食えない俳優が片手間にやっていた汚れ仕事の様なニュアンスから始まっている為、元から似たようなものなのです。
ーーーーーーーーーーまとめーーーーーーーーーーーー
役者の匿名性と本質
本来、役者は「役を演じること」が目的であり、自己の名声や個人のブランドを確立することは本質ではない
特に、役者が目立ちすぎることで、観客の目が「役」ではなく「俳優個人」に向いてしまうという点は、作品の没入感や純粋な表現の質を下げる可能性がある。
日本の俳優業界とアイドル的要素
日本の俳優業界はアイドルビジネス的な要素が非常に強く、「名前を売る=成功」とされる傾向があります。
「この俳優の演技が素晴らしいから作品を観る」のではなく、「この俳優が出ているから観る」という消費構造になりやすい。
これは、芸術よりも話題性や商業価値が優先される日本独特の文化が影響しているのでしょう。
一方で、欧米の映画業界では俳優が役に溶け込むことが重視され、時には有名俳優でも変名を使ったり、顔を極力目立たせないようなキャスティングが行われることがあります。
例えば、スタンリー・キューブリックやデヴィッド・フィンチャーのような監督は、俳優の「スター性」ではなく、作品そのものの完成度を重視する傾向が強いです。
ギリシャ演劇のルーツ
ギリシャ演劇の起源を考えると、役者が「神のため」に演じていたという点が重要です。
つまり、個人の名声ではなく、表現そのものが目的だった。
この点から考えても、「役者=有名になるべき存在」とする現代の考え方は、本質からかけ離れたものだと言えます。
では、役者は匿名であるべきか?
結論として、「何を目的とするか」によるということになります。
-
商業的な成功を目的とするなら、名前を売るのは戦略として有効。
-
作品のクオリティや本質的な表現を重視するなら、匿名性を保つ方が理想的。
ですが、現代の芸能界は商業主義が強いため、本来の「役者」としての理想を追求する場は非常に少なく、名前を売ることがほぼ必須になっています。
その中で、どこまで「本質」に近づけるかを模索するのが、芸術家としての挑戦になるのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。