最近になって増加した印象のあるこの理由ですが、ぶっちゃけただの体よく見える言い訳です。
確かに、9割の人は話しかけられたり、必要とされる、挨拶をされるというコミュニケーションによって幸福を感じ、そして相手が居なくなると満たされなくなる不満を感じる社会を構築する生き物ですので、理にはかなっています。
しかし、この言葉に限らず用法が非常にご都合主義で利己的なんですね。
例えば、最近だとSDGsやヴィーガン食が近い例です。
動物が可哀想→正しい。 だから強要しよう→間違い
動植物が可哀想という所までは合っています。
しかし、人間だけでなく虎や縞馬もまた、他の動物や植物を食べています。
だからと言って、轢き殺したり意味もなく殺戮する等は道義的にも法律的にも違反していますが。
(余談ですが、脳に直接栄養を送る技術や、ウィダーインゼリーやカロリーメイトなどの栄養食の開発に矛先を向けると良いと思います。
完成は遠い未来でしょうが、そういった研究もありますし、それならばそこまで食事に関心のない人たちも興味を示すでしょう。)
フェミニストも同様です。
フェミニストとは本来、平等を目指す人達ですが、
多くの場合、女性が女性だけを優位にする目的を持った人が多いです。
持続可能な社会にするためにロスを減らそう→正しい しかし、実態はSDGsという言葉だけを大義名分とし、地球環境への本質的な貢献ではなく単なるビジネスワードとして会社や政治家が使うものとなっています。
話が反れましたが、これらと同じで自分の目的を果たす為の体よく使えるパワーワード的な用法になっています。
自分のことを好きと言う人が好き というのは、一見 何の問題もなくみえる言葉です。
しかし、これを絶対的にOKと定義して要件を満たさせた最終的な帰結点は
一夫多妻、または一妻多夫あるいは多夫多妻です。
もちろん、どこまでが恋人なのか? というのは人によって違いますので、行動するのは自由です。
例えば、男女が二人で食事をしただけで恋人判定する人もいますし、全くそう思わない人も居ます。
不倫ですら犯罪ではないくらいです。
自分のことを好きと言う人を好きになっていたら恋人”状態”の関係が沢山できます
ということです。
そしてその真意は、
・意中でない相手からアプローチが来ても保留状態にできる
・意中の相手から来なかったとしても相手が自分を好きと言ってないから私も好きではないという逃げ口実としても使える
・自分は相手を好きだが、相手は自分を好きと言ってくれないので自分が掲げた(自分の事を好きと言ってくれる人を好きになる)要件を満たさないので言い訳できる
・複数の相手と恋人状態、不誠実な関係を維持できる
・自分の真意を隠蔽できる
という、多機能チートを含蓄した詭弁術なのです。(としても使える)
もちろん、純粋な用法をしている人もいるでしょうが殆どはこんな感じです。
みなさんも、相手がこういった発言をしていたら気をつけてみてはどうでしょうか。