2024年5月7日火曜日

人気≠稼ぎ≠技術

 混同されがちですが、人気と稼ぐ力と技術は別方向です。


・音楽で例えた場合


クラシックは現代にも残る音楽理論を体系化し、多くの大衆が好き好んで(いる人も多少居ますがポップスよりは)聴いている訳でもないが、義務教育の授業にもあり偉人達として知られている。

ポップスは大衆が好き好んで聴いているが、別に後代に残る技術体系を確立した訳でもなく過去の偉人と呼ばれている人たちが編み出した技術の上で成立している音楽。


クラシックは大衆向けのポップスより人気は無いが、技術はあるという例。


余談ですが、無類の音楽好き(というか生粋の芸術家)は他人から見たらヘンテコな事をやりがちです。

無調、4分33秒 等がそうです。

この曲は4分33秒の間、何も演奏しない(会場の無音が演奏になっているという言い訳)って事で音楽を知っている人たちの間では有名な曲ですが、現代にも斬新な曲として語り継がれているくらいには凄いって事(と捉えることが出来る)です。

無調も、音楽理論(技術)的には凄いことをやろうとしているんですが、聴いている側からすると聴くに耐えない曲になっています。




・医者で説明する場合


昔の医者(例えば江戸時代)は、清貧を良しとしていて人命救助をボランティアとしてやっていました。

人の命を助けるのに対価を受け取るというのが義理人情に反するという考え方です。(金のない人も平等に見るとか)

なので、昔の医者は貧乏でしたが、代わりに村に愛され皆から物資として貰って生活していた歴史があります。

人気はあるが、お金は無かったという例。


しかし、現代だとお金が無い人はそもそも病院にすらいけませんし、

大手の病院だと白の巨塔と化していたり、それぞれの派閥争いがあったり、政治と繋がっていたり、マッドサイエントな事をしていたりします。

調べると出てくるのですが、貧乏と虫歯の数は関係性があります。


病院も経営ですから、お金が無ければ存続できません。

なので、経営が危うくなった場所から薬を無駄に多めに売る等も当然あります。




・作曲で説明する場合


何かの曲を作ろうとした際に、自分が好きなように作った曲と世間(日本人好みの味付け)に向けた曲 どちらにお金が入ると思いますか?


残念ながら、どれだけ技術や意思があっても”お金を稼ぐ”という方向性でやっていくのならある程度世間に媚びる という事は避けられません。(売れない)


技術的には凄いが、聴くに耐えない曲 というのを先程、説明しましたがそれがいい例です。


人間には心地よいと感じる(ソルフェジオなど)周波数やパターン(進行)があり、

売れる曲やシナリオ、演技というのは殆どパターンが決まっています。


漫画を出版する会社でも、編集者だとかマーケティングする人がいます。

漫画家としては自分のやりたい事を優先したいが、それだと売れないので後方(広報)が培ってきた日本でエンタメという定義できない曖昧な何かで効率よく集金するには

という”ビジネス”スキルが非常に重要になってきます。

芸能事務所もまた同じです。事務所の力が9割だと言っても過言ではありません。

(海外だとフリーの俳優が基本なのですが、日本でフリー俳優として売れた方って思い当たりますか?)


要は極端な話、漫画家の技術を100だとして、バックアップの力を0だとするとほぼ売れないという事が言えます。




・柔軟剤で説明する場合


レノアという商品と、レノアと同等か以上だが無名の柔軟剤が同じ値段で並んでいたとします。

恐らくレノアを手に取るでしょう。

それは、レノアという商品が有名であり、バンバン広告も打って知られているからです。


商品としてのポテンシャル(技能)だけあっても売れません。
”営業力(金)”と”集客力(人気度)”が重要だからです。





・和菓子で説明する場合

ういろうと言う商品をご存知でしょうか。
薬屋から派生して現代にも残る和菓子屋があるのですが、自社の商品をデパートの売り場に出したところ売れ行きかコストの関係で自前の店だけで売る事になりました。

これは、原材料等の事情はあるのでしょうが、多少高くて本物の和菓子よりも、安くて大量生産された工場出荷の和菓子の方が利益になるということです。
ちなみに、通信販売もしていません。
現に、菓子メーカーはチェーン化して事業を拡大して業績を伸ばしているのにこの本家はしていませんからね。
(※本家のインタビュー記事によると、街の人を優先したいので通信販売は行わないとの事。)


要は、それが本物であろうが、職人芸であろうが、資本主義的な観点から見たら時代錯誤だという事です。
個人的にはこういう本家の様な職人気質が好きですが、原材料も高騰化して今では結構な値段になっちゃってます。

功利主義が過ぎるとこういった伝統ある文化ごと仮に代々継承されてきた製法(技能)があったとしても消えていってしまうという事です。





稼いでると凄い!

人気があってすごい!


などと、言いますが”凄い”の根拠を探っていくと本質が見えてきますよ

2024年4月19日金曜日

フルトラッキングを使えば家でモーションアクトができる時代に!

 作成中

Vチューバーの事を英語ではvoice actor(声優) と言う

 個人・私人問わず海外からはVtuberの事をvoice actor(声優) と言われています。


前回の記事

https://www.blogger.com/u/1/blog/post/edit/3789005980407243801/4436575899978786100?hl=ja


で、海外の俳優事情について大まかに解説しましたが、

海外では日本よりも多くのフリー役者が居ますので、日本の声優とは大きくニュアンスが異なります。(本来の定義上は日本でも個人活動している人を声優と呼ぶんですが)


余談ですが、一括りに役者と言っても様々です。


舞台俳優、TVの俳優、2.5次元俳優、ミュージカル、オペラ、戯曲系、お笑い芸人の喜劇、能、歌舞伎、アニメ系声優、外画系声優、歌って踊るアイドル系声優、モーションアクター、特撮系、文化系(日光江戸村とか)、着ぐるみ俳優、アトラクションキャスト(ディズニーやUSJ)、コンセプトカフェの店員(決まった配役で演じているという点で)、VRキャスト、ボードゲームショップ(TRPG) 等


日本だけでもこれだけ多くの俳優の形があります。


日本でvoice actorというと何だか、芸能事務所に入っているキャストを指すような印象がありますが、(無いなら正常です)


事の正誤はどうあれ、アメリカだと一つのCMに出ただけで俺はタレントだ!という人も多い訳です。


これからは肩書に拘らず、ふわっとした意味で捉えていくとストレスが無いと思いますよ。


日本とは違い海外の俳優はフリーが基本

 Comment ça va? tout le monde.


皆さんは芸術やその他で創作活動をしていますか?


残念ながら日本でアマチュア活動をしている人はプロより素晴らしい作品を作っていても自信が無い人も多いように見えます。(凄く繊細な絵を描いているのに企業に所属していないからイラストレーターを名乗りづらい とか)


ところが、海外 特にアメリカだと映画の歴史が深いだけあって、日本よりもキャストに支払うインセンティブだとか、日本の様に一部の事務所が市場独占をする訳でもなく、多くの役者が役者として活きられる様な体制が整っていて、遥かに先を行っています。

例えば、日本だと事務所にしか入らない仕事が多く、一般公募オーディションがあっても出来レースであったりとどこかに所属している中での矮小な競争社会になっており非常に残念な事になっておりますが、

海外だと真逆で、アメリカなら人口も日本の3倍多いのでその分、多種多様なジャンルのコンテンツクリエイターと成果物と役者がいます。

ヨーロッパであれば芸術運動が盛んに行われ、今でも国が芸術家志望に対する助成金を支払うなど、日本ではあり得ない公的支援もあったり、

ギリシャや近郊の国では西洋劇の発祥地(此方でいうところの、能や歌舞伎)ですからより造詣深い芸術で溢れています。

(アメリカでも事務所やフィルム会社はありますが、日本の芸能事務所とは大きくニュアンスが異なるという事です)


故に、海外では日本で言う所のよりライトな就職活動をする様な感覚で俳優・声優を目指す事ができるんですね

また、個人・私人問わず海外からはVtuberの事をvoice actor(声優) と言われています。


今回は、以上のグローバルな観点から

この記事を読んでもらった皆さんには今の自分が、全くお金を稼ぐ気のないアマチュアだったとしても、

どこかに所属しているプロなのに全く仕事がないという人も、

売れはしたものの自分の低い技術に納得できない人も、


広い視野を以て日本とは違う文化圏の方法論を学び、

多様なアーティストの形がある という事を理解して悩むことなく心を軽くして貰いたいんです。






大まかな風潮を言うと、

素晴らしい技能を持っていてもアマチュアだと、肩書がないと絶対認めない人も居ますし、

でも仮にプロでどこかに所属していても殆ど仕事が入ってこない なんて事もザラです。


日本でも若干、先述のグローバルな流れが来ていて、

無所属のフリークリエイターがプロの音楽ヒットチャートを抜いて1位にランクインする なんてことも数年前からありますし、

個人で作ったボカロ曲がカラオケに採用された という話も多くなっています。



これからは芸術も力差社会になっていきますので、フリーで活動する方が先見の明があると言えるんではないでしょうか。

2024年4月9日火曜日

プロは工場勤務のパン屋、アマは個人経営のパン屋と置き換えると分かりやすい

 プロ=工場勤務のパン屋


アマ=個人経営のパン屋



プロのパン屋(芸術作品)は発注元のオーダーに合わせて作るが、発注数・コンプライアンス・発注元の意見・ルール上のコスト等の制約が多いが、

アマとは違い、明確なパトロン(コネ)が居て安定して見える定期収入がほぼ確約している事と、企業である事の強みである大量生産が可能。

逆にアマは、制約がなくプロならば会社用の倫理審査機関を通す事を考えたり、コストや決められた日数内で作る(創造性を犠牲に利益を優先する)事を日夜考えているので合わせたり削る事を優先しがちになる。

対し、自由に創れるのでよりワールドワイドに受けやすく何でも出来るが、量販等をする際はコネや資金力、会社(事業主)としての信用性が弱い。


歴史的に見ても、エリザベス王朝時代でパトロンがついていない芸術家は排除されるという暴挙もあったが、

パトロン(コネが強くなる)がつく、ついていないで判断すると次第に大衆から離れ(クリエイター、演者が少なくなると市場が縮小され、大衆より金持ち貴族向けになる、クラシック化)

その後、大衆が私物化された芸術を解放する形の運動が起きる

ざっくり言うとこの流れが繰り返されており、現代においても同じ事が言える。

(尚、この時は女が舞台に上がる事がタブーとされていたので女優はいない。この時点で既にパトロンがつくことで質が上がった等と某WIKIで記載されているが、根拠も書かれていない現代の一個人が勝手に当時を決めつけた私見上の質でしかない)


月次だが、TV業界がまるで芸術は自分たちが生み出したかのように市場を独占し、インターネットが出てきて、次の媒体が台頭するという流れになると思われる


※当人とはニュアンスが異なるだろうが、つんくさんのプロアマじゃんけんではプロがアマに負けるという記事を見て興味深かった為、記事にしました。

分かりづらいかもしれませんが、プロではない事にも利点があるという意味になります。

以下に私が参考にさせて頂いたnoteをリンクフリーかわからんので、伏せてURL置いときます。



ttps://note.tsunku.net/n/nc9559c0f5938

2024年4月8日月曜日

悪いことは言わない此方へは来るな 今日という今日は言わせてもらうぞ

 って話


今回は理論めいた話というより、どちらかというと本来あるべき雑記なのですが。


例えば私は、名のしれた芸能事務所(主に声優と呼ばれるマネージメントが多い方向の)に籍を置いていました。


まず、多くの場合、基礎科と呼ばれる養成所の最初のクラスから飛び級して研究科という最終クラスに行ったのですが。

事務所に在籍してから様々なワークショップに参加して”技術(芝居力)”だけを追い求めてきました。

当時から個人的な感想として思うのは、養成所のレベルはぶっちゃけ低いです。

私が普段から参加させて貰ってるWSや、海外の演技作法を参考にしたり自分が最も過酷だと感じた毎日行っているトレーニング法の方がキツイと思うくらい低かったです。(ココに入る前に体験入所や見学も多くして吟味したうえでの話。)


興味のない人にとっては、声優や俳優のアクターズスタジオ、専門学校に入って何かをしていると聞かされれば なにか凄い事をしている! と思うのも無理もありませんが、


してません。 ハイ


1割(という私の知らない可能性)はしているのかもしれませんが、

どこもかしこも 演劇のルーツであるとある国の体系を学んでいる だとか、音声学的あるいは耳鼻咽喉に関する医学知識、言語学的知見があったりする人が(厳格に知っている必要もありませんが)教えているのかと言えば全くそうではありません。

よく、声優の多くが突発性難聴や、ポリープ、声帯手術などを行うことがあります。

これは、耳鼻咽喉学的に無理のある発声法をしているからなのです。(元々、体質的に弱かった例もあるでしょうが)

勿論、演技なので必要ではありますが医学的知見を正しく習得していれば最悪の事態を避ける事も可能だった筈です。



そして、知ってもらいたいのが、

多くの養成所生、志願者、事務所の経営者、現役の役者の多く(主に声優、アニメ方面)は全面的に”オタク”です。(昔はそもそも、声優は売れない俳優の雑仕事だったので異なりますが。)


勘違いしてほしくないのは、”オタク”といっても厳格的な”芝居オタク”(戯曲とか)ではなく、現代的な”アニメ”オタクです。

悪いことだ、とまでは言いませんが、何が言いたいかというと 正しく舞台の歴史を学び、芸術的な芝居そのものに知見のある者ではない という事です。

(※もちろん、芝居とは一般人も多くの人が毎日、意識的に行っていることであり特別なことですらありませんが)

日本のジャパニメーションサブカルチャーとでもいいましょうか、その歴史に魅入られた人 が殆どであるということです。

だから例えば、声優志望者の多くに”身体では演じるのが恥ずかしいが、声なら行けると思った” ”◯◯に会いたかった”などが挙げられますが、

動機としては不純ですがそれでも売れたりしていますし、これは事務所にマネージメント側として入ってくる人もこういった動機の人は多いです。


故に、”オタクではない”人は馴染めません。


例えば、わかりやすく言うとアニメに興味ない陽キャタイプの人とその逆の人です。

混ぜるな危険の代表格だとは考えられませんか?

私の場合は、陽キャという程ではありませんがアニメは対して興味ありませんでした。

なので、これから目指す人はサブカルオタクであった方がウケが非常によろしいです。



ここからは私の感想なのですが、個人的に目指している段階から現代の人気職である声優と過去の職人芸であった頃の声優とでズレている事を黙認していました。

それでも、現代でも希望はあるのではないかと思って直向に躍進し続けていたのですが、

私の場合は、所属後にやはりアイドルとしての側面が強くなってしまったのだな と確信に変わってしまった次第です。


仮に私が続けていても、籍を置いているだけのタレントにはなれていたでしょうが、

それで満足する器ならば、役者として誰かに認めてもらいたいが為の小さな器量だったのか?

でも、事務所と契約している以上フリーとしての活躍は制約があるからどこかで踏み出さないといけません。

となってくると、判断は早いほうが良いわけです。


現役の役者でさえ、その厳格な芸術史や発声学に知見がある人はほんの一握りです。(資格化していいものでもないので、ケースバイケースですが。)

例えば声優のラジオや個人のブログ等で、こういった芸術史について話されている方を知っていますか?私は知りません。

つまり、厳格な芸術史や音声学について知らなくても成立するのが日本芸能であり、そういった功利主義的な価値観ではなく力だけを求める技工派の人はお呼びでないのです。


前にも記載したかもしれませんが、これは会社員と酷似しています。

本当に技術ある人よりも上司や世間に正論を言ってケンカを売らない隷属を必要とするのと同じです。



私も騙されたのですが、それでも日本芸能関係はあたかも自分たちが正しく芸というそのものを作り出したかというような顔をし、

現代のニーズがどうとか、芝居力がどうとか 嘯きます。


そんなビジネスに騙されないで欲しいということです。


ぶっちゃけ、ボカロPとして曲を出したほうがそのへんの所属アーティストより一人でやっている分マージンはありませんから収入も多いです。

個人の時代に戻ったのだから、もっと広い視野で、プロなどという肩書に惑わされないで下さい。

2024年4月5日金曜日

有名とは具体性がなく曖昧でどうでもいい概念

 どの世界でもそうかもしれませんが、芸術の世界でも”有名”を目指す人が居ます。

もちろん、目指すこと自体は自由ですが、有名の有効範囲とはどこまででしょう?

考えてみれば、誰も定義化できない言葉なんです。


まず第一に、例えば”日本で有名”と言っても、地方まで響いているのか? とても怪しい。

いくら情報化が進んだとは言え、田舎のご老人や若い人でも地方と都内では差異があります。

”日本で有名”の要件を正しく満たすには、日本人口全員が知らないといけないんです。

”世界的◯◯”という言葉もありますが、USAで知られているとしても、ギリシャやアフリカまで知られているのでしょうか。

知られてないならその時点で世界という言葉の定義を満たせず、嘘になってしまいます。


また、仮にその国で確実に有名というあり得ない状況が存在したとしても、

個人(その人)が知らなければ無価値と同然です。(有名であるはずなのに耳に入らなかったので)

代表的なのは、TVで有名なインスタグラマーがー。インフルエンサーが といいますが、

YouTubeやインスタを見ない世代の人にとっては知らない事が多いので、その時点で”有名”なのか?疑問です。

これは、テレビの芸能人も同じです。TVでキャリアを積んできた人でも、TVを見ない層にとってはあまり価値がありません。



有名とは、とても都合よく聞こえのいい言葉ですが、そんなに重要な事なのでしょうか?

ぶっちゃけた話、そこら辺の中堅芸能人やユーチューバより、syamuさんやへずまりゅうさん、ガーシーさんの方が有名ですよね。

ですが、彼らはあまり良いとは認識されていません。(私は面白いというか、個性があると思うのですが)


この方たちに限らず、炎上させるにも才能が必要なんです。

例えば、このブログがわかり易い。

不定期的にトゲトゲした現実をカキカキして、炎上する様な事を書いていますが、一向にしません。

そして、炎上させることでインプレッションを手っ取り早く稼ぐ方法は、方法論として非常に有効。


脱線しますが、正しくセールスする方法なんてなく、その悪質性がわかりやすかったか?だと思います。

営業職の人は気分を害すかもしれませんが、営業とは基本的に(※当社比)など捏造したデータを元に情弱に対して都合のよいことを言って自社製品を売りつける商売です。

本質的には何ら変わりありません。



芸術の世界でも、汎ゆるパターンがあります。

自分の似顔絵をグッズ化して商店を開いている人、音楽教室を開業する人、モーションアクター等、前には出ないタイプも存在します。


承認される事に重きを置くのをやめてみると人生が楽になるのではないでしょうか。

2024年4月2日火曜日

令和の時代にもなって”プロ”を目指さなければならないのか?

 ライトノベル累計発行部数

【1位】転生したらスライムだった件:4000万部

【2位】薬屋のひとりごと:3300万部

【3位】とある魔術の禁書目録:3100万部

【4位】ソードアート・オンライン:3000万部


この内、とある以外は出版社を通さず個人で書いていたものになります。(とあるも構想は肩書上のプロになる前からあったかもしれませんが)


1位と2位は小説家になろうサイトに無料で上げられた物ですし、4位も個人のブログに記載していたものが主な起点になっています。


描いている内容は同じでも、有名な会社を通すかどうかで彼はプロだとかアマだとか分けられてしまうのは発想が貧相極まりないですよね。



また、教職関係の人も授業で取り扱った内容をそのまま公開動画にしたりしています。

内容は同じでも、教務として学内で扱えばプロで、動画にするとアマになります。


ソフトウェアも同様です。

LinuxOSも無料でwindowsやMAC以上の機能を有し、

Libreもエクセル・ワードと同等以上で、Blender(モデリングソフト)やCakeWalk(SONAR、無料DAWソフト楽曲制作の)も同様です。

募金箱はあるものの、無料で有料より優れたソフトを使えますが、インディーであった場合はこれは本職ではなくインディーだ!と言われてしまいます。



これは、役者業にも、音楽にも言えることです。

食い物にする事を悪いことだとはいいませんが、自分を食わす為の道具として使うのか、エドガー・アラン・ポーの様に本質的な芸術の為の芸術として磨くのかとでは大差があるという事です。


あまり功利主義にならず、本当にプロになる必要があるのか見つめ直してみるとよいと思います。



2024年3月17日日曜日

自分のことを好きと言ってくれる人が好きはリスクを冒せないご都合主義の言い訳

 最近になって増加した印象のあるこの理由ですが、ぶっちゃけただの体よく見える言い訳です。


確かに、9割の人は話しかけられたり、必要とされる、挨拶をされるというコミュニケーションによって幸福を感じ、そして相手が居なくなると満たされなくなる不満を感じる社会を構築する生き物ですので、理にはかなっています。


しかし、この言葉に限らず用法が非常にご都合主義で利己的なんですね。


例えば、最近だとSDGsやヴィーガン食が近い例です。


動物が可哀想→正しい。 だから強要しよう→間違い


動植物が可哀想という所までは合っています。

しかし、人間だけでなく虎や縞馬もまた、他の動物や植物を食べています。

だからと言って、轢き殺したり意味もなく殺戮する等は道義的にも法律的にも違反していますが。

(余談ですが、脳に直接栄養を送る技術や、ウィダーインゼリーやカロリーメイトなどの栄養食の開発に矛先を向けると良いと思います。

完成は遠い未来でしょうが、そういった研究もありますし、それならばそこまで食事に関心のない人たちも興味を示すでしょう。)



フェミニストも同様です。

フェミニストとは本来、平等を目指す人達ですが、

多くの場合、女性が女性だけを優位にする目的を持った人が多いです。


持続可能な社会にするためにロスを減らそう→正しい  しかし、実態はSDGsという言葉だけを大義名分とし、地球環境への本質的な貢献ではなく単なるビジネスワードとして会社や政治家が使うものとなっています。



話が反れましたが、これらと同じで自分の目的を果たす為の体よく使えるパワーワード的な用法になっています。


自分のことを好きと言う人が好き というのは、一見 何の問題もなくみえる言葉です。

しかし、これを絶対的にOKと定義して要件を満たさせた最終的な帰結点は


一夫多妻、または一妻多夫あるいは多夫多妻です。



もちろん、どこまでが恋人なのか? というのは人によって違いますので、行動するのは自由です。

例えば、男女が二人で食事をしただけで恋人判定する人もいますし、全くそう思わない人も居ます。

不倫ですら犯罪ではないくらいです。


自分のことを好きと言う人を好きになっていたら恋人”状態”の関係が沢山できます

ということです。

そしてその真意は、


・意中でない相手からアプローチが来ても保留状態にできる

・意中の相手から来なかったとしても相手が自分を好きと言ってないから私も好きではないという逃げ口実としても使える

・自分は相手を好きだが、相手は自分を好きと言ってくれないので自分が掲げた(自分の事を好きと言ってくれる人を好きになる)要件を満たさないので言い訳できる

・複数の相手と恋人状態、不誠実な関係を維持できる

・自分の真意を隠蔽できる


という、多機能チートを含蓄した詭弁術なのです。(としても使える)


もちろん、純粋な用法をしている人もいるでしょうが殆どはこんな感じです。


みなさんも、相手がこういった発言をしていたら気をつけてみてはどうでしょうか。


2024年3月16日土曜日

任天堂がエミュを阻止する事はデメリットでもある

 3DS とSwitchエミュに対して停止するように任天堂が海外で動きましたが、


まず、整理すると


・エミュそのものは合法で、エミュそのものを違法とするとレトロフリークやSwitchのバーチャルコンソール

まで該当してしまう。

因みに、法的にそれだけ例外にすればいいという単純なものではありません。

そもそも、ルールに例外を設けるとアッチは良くてコッチはダメで とより不完全なものになってしまいます。


現行機のSwitchエミュに対して停止させるのは合理的なのですが、

最近、3DSとWIIUのニンテンドーオンラインショップが終了しましたが、

此方のエミュまで停止させると却って無益になってしまいます。


というのも、その昔 とあるゲーム会社が中古市場に対してゲームソフトを中古屋で卸し販売するのはダメと唱えて訴訟した件があります。

中古を購入しても本社には利益がいきませんので、当然ですね。

(しかし、ソフトを中古で売るのは妥当であるという裁判所の最終的な判断になって未だに覆っていませんが)


古いエミュまで停止させると、中古を購入するしか選択肢がありませんので、

ゲーム会社の敵である中古屋を潤すことになります、



という事は恐らく、

新しい任天堂の次世代ゲーム機で3DSのエミュを搭載してバーチャルコンソールを販売する予定があるのかもしれません。

2024年3月8日金曜日

プロとアマで分ける思想はチェーン店を本物、商店街を偽物と言っている様なものである

 プロとアマで分ける貧相な考え方は、チェーン店(企業)を本物とし商店街(個人経営)をママゴトと言っている様なものです。


そもそも、芸術史を学んだ事がある人ならば直ぐに理解できる話なのですが。


芸術はライトな遊び(音楽であれば石を叩くとか、劇なら仮面を作る)から始まり、一部の国王の物となり、貴族の物となり、世俗的な物へ移行したり、既得権益のグループから認可されないと画家を名乗れないとか、ヒトラー政権を揶揄する芸術の一切を禁止した独裁者の物となったり、現代ならルールでこそ禁止してないが事務所に所属していることを正義と誤解したり・・・


歴史上、芸術は独占と解放を繰り返しています。


しかし、本質的には誰もが絵を描けますし、日常の中で芝居を打ち(隠し事とか)、演奏しています。


本当に芸術を愛しているのならば、重要なのは金や権利ではないことくらい分かると思うのですが


2024年3月6日水曜日

役者業もコンビニバイト(社員)と一緒 実力商売ではなく信用商売

 芸術の世界では、独創的で他人とは違う、何にも囚われない自由な発想が重要です。

海外では、女モデルが上裸でよくわからないアートを発表して賑わせたりしていたり、

バンクシーの落書きを海外では高値で取引され評価していますが、

日本でバンクシーが描いたと思われるネズミの路上アートは警察に被害届が出されるなど、真面目な結果になっています。



対し、日本芸能は正社員やアルバイトととても似ています。

多くの裏事情を知らない人は、芸能だから何か人と違う事が評価されるのだろう と捉えてしまいがちですが、そうでもありません。(裏では社員と同等ですが、皆さんに見せている表の部分は変わっているんだとか、独創的で価値が高いかの様な宣伝をするので、誤解するのも無理もありませんが)


どんなところが同じなのかというと、


まず、下手したら正社員より縦(コネとか歴)社会なので、挨拶や礼儀作法がうるさいほど重要視されます。

正社員のソレとは比べ物になりません。

例えば、営業マンの様にどれくらい売上を出したかという成果を数値化できない世界なので、挨拶をとにかくして顔を覚えてもらう というのが大事になってきます。


●●(事務所)の、●●です!!!!!!本日は、よろしくお願いします!!!!


といった具合です。

おっさんおばさんならともかく、年齢が若いと とにかく”元気”というのを重要視されます。

それはもう、オーディション風景を見れば瞭然なのですが、狂気を感じるほどです。

ただでさえ、既に大御所と呼ばれる年数の長い人たちが揺るがないコネクションを確立している椅子取りゲームを、何の信用(世間にケンカを売らないか、不祥事)もネームバリューない人が奪い合うのですから血眼です。


●●をやらせて頂きました という文言もそうです。

この業界には させて頂きました症候群が蔓っています。

一周回って 慇懃無礼になっています。


その椅子取りゲームのイスを取っていく為には、”実力”などという曖昧な評価指標なんて殆ど役に立たない訳です。

そんなものより、権限を持っている監督のコネを作る、とか

名前を覚えてもらうために広告を量産したりとか、

なんとかして周りを蹴落とす といった様な、推しの子みたいな いや、ソレ以上の人の邪な思想が充満します。

(芸能ビジネスで稼ぐためには合理的な判断だと思いますが)



私はエンジニアでもあるので、正社員の世界も一応知っているんですが


日本の会社でも能力より遅刻をしない、コミュニケーション力、上に楯突かない、世間に対して思ったことを言わないなどが重要です。


こうして並べてみると、何ら芸能と変わりません。

遅刻は当然ダメですし(残業はあるけど)、共同で作品を作っていく訳ですから一人だけが尖って上手いより全体のコミュ力が大事で そもそも独創性はすごいけど会話が成立しない人に仕事の斡旋はないですし、形態は個人契約なのに正社員以上に事務所の意向は絶対的ですし、最近の世情もあって不祥事なんてしたら終わりです。


最近だと、劇団四季の25歳の女性がいじめで自殺した なんて話もあります。


芸能の世界では、この様にして信用を培って仕事を取っていく能力商売ではなく、信用商売以外に選択肢がないのです。


そこで、インターネットはバカ探知機といわれますが、良い所もあります。

動画サイトやライブ配信などの昔からあったプラットフォームが台頭している所です。


役者が一人で何かを作るというのは難しいですが、絵師や音楽などは何とか楽団に入るために権限を持った人に師事しなければならない! といった事も、

曲を世界に出すためにレコード会社に持っていかなければならない!

といったことも現代ではありません。


明日から、すべての人が クリエイターであり芸術家になることができるのです。

芸能は違いますが、芸術とは本来、独占するものではなく自由に解放するためにあるのです。


クリムトが代表をつとめるウィーン分離派の機関誌にも


我々は、大芸術と小芸術の違いを知らない。我々は、貧富の芸術と富豪の芸術を知らない。

芸術は公共のための富である。


と言っています。


誰のものでもない芸術をプロという安い言葉で洗脳し、自分たちが本物だなどと世迷い言を抜かす芸能ビジネスから解放される時が来たということです。

そもそも、歴史上 ヒトラーによる独裁政治を批判する芸術の禁止や、ある程度知名度をもった芸術ギルドのお墨付きを渡さないと画家になってはいけないなどの最悪最低な独占は繰り返されています。


ですので、不毛な争いをやめ、一人一人が誰かに金や時間を無駄に支払うことのない

クリエイターになる権利があるという事実を認めましょう。


2024年3月5日火曜日

原作者が既に退社したゲームシリーズの歴史

 

前回はコレ

deepfw.hatenablog.com

スターありがとう

 

ゲームをシリーズ化していくと生みの親が開発に関わらなくなる事がよくあります。

会社の事情なので、お客さんからして見れば知ったことではないと思いますが、

アレ?このシリーズ、なんかいつもと違うな

と思った際に、一々調べるのも面倒なのでここに記載します。

(原作者が消えても、主要開発陣が残っていると大きな方向なく進む事が多い )

 

・FE(ファイアーエムブレム)

 

原作者:加賀昭三 氏

 

原作者である加賀さんはトラキア776まで関わっていました。

その後、封印の剣~暁の女神まで主要な開発陣が携わり、

覚醒から大きく転換します。

 

ゲームクリエイターといえど会社なので、利益を上げる事が最優先なのは分かりますが、

元々、硬派だったシリーズを軟派な物としてライト層を集客すると品質が低下するというのは難しいですね。

 

ゲームクリエイターといえど、会社員(すなわち、サラリーマン)なので利益を出さないといけません。

ゲームという売れるかどうかは結果を見ないとわからない物の企画書を上層部に通すにはわかりやすい根拠が必要です。(安直に世間の流行を取り入れる、誰でも理解できる簡単なお話にする等)

 

w.atwiki.jp

 

 

追記予定

FFCC クリスタルクロニクルリマスター取り逃し要素と注意点を先取りしる

 リンク

 

 

(※GC版の内容ですが殆ど継承していると思います)

(※FFCCリマスターは2020年の冬→夏頃に延期しました気長に待とう)

(※取り返しのつかない要素は高難度ダンジョンか、他人の部屋に入る事で解消しました)

 

1.+1アーティファクト

 

ファイナルファンタジークリスタルクロニクルはレベル上げという概念がなく、ダンジョンをクリアした際に手に入るアーティファクトで強化していきます。(例:光の辞典 魔法+1 バックラー 防御+1 ルーンの杖 魔法+1)

ゲームキューブ版では、このファクトが後で取れなくなる

コンプリートする際は気をつけないといけません

 

光の辞典

1週目ヴェオ・ル水門でマップの南東にある宝箱(ランダム出現)

それか2周目のジャック・モキートの館を低得点クリア。

 

バックラー

2周目迄のリバーベル街道を低得点クリア ランダム報酬

 

ルーンの杖

1週目ジャック・モキートの館 宝箱からランダムに出現

または同マップを低得点クリア。

 

その他の+!アーティファクトはレベルが上がる毎に出にくくなるので注意が必要

優先的に取りたいファクト

 

 

 

 

 FFCCで分かり辛い、周回要素について

ダンジョンをクリアする毎にミルラの雫が1滴溜まり、3回溜めるとどんちゃん騒ぎ

いや 村のお祭り? が催されます(日記を回想するシーン)

それで1周目です これが3週する毎にダンジョンのレベルが上がっていき、アーティファクトのランダムテーブルも変化します。

レベル3まであり、レベル1までが+1系アーティファクトの出やすいレベルです

GC版では、メモリーカードが2つとコントローラー、GBAケーブルさえあれば、新規でセーブを作成して弱いダンジョンに育てたいキャラクターをおでかけさせ

2つを一人で操作してダンジョンをクリアすればアーティファクトだけ持ち帰るという技があります。

 

でも、この辺は昔のゲームにありがちな面白いけど厄介で面倒なシステムなので、リマスターでは無くなると思います

 

2.キャラクターメイキングで選べる職業は後から変更ができない

 

 

・商人

レベルMAXに到達すると"きゅうきょくぶき""てっぺきのゆびわ"の作成に必要な素材が売られる

 

・錬金術師
レベルに応じてレシピを貰える
レベル11「てっぺきのゆびわ」、レベル12「きゅうきょくぶき」はここでしか入手できない

※セーブデータ1つにつき1個

 

・かじ屋
武器・防具を作れる
MAXに到達すると、鍛冶屋にしか作成できない「きゅうきょくぶき」のレシピの作成ができるようになる。

 

・さいほう屋
アクセサリ製造
最大に到達すると、「てっぺきのゆびわ」のレシピの作成ができる様になる。

 

・家族割プラン(を家族で設けるという)


かじ屋、商人、さいほう屋、は、その家のキャラクターで買い物をする場合、相性値に応じて割引制度がある

※商人に関しては「売却値は取り扱い価格から算出」しているので、相性値が上がるほど、アイテムを売る場合、安く買われてしまうという問題点あり。

 

以下、初心者キラーの職業一覧

・農家

 

こむぎをそだてるよ いらないね

 

・牛飼い

 

肉、ミルクをくれるよ 興味ないね

 

・こなひき

 

小麦から小麦粉を製造してくれるよ なんのいみがあるのかな

 

・漁師

 

魚をくれるよ ダンジョンでも手に入るよ

 

 

ゴミ職業はリマスターではどうなるんでしょうね

 

 

マルチ展開しているリマスター、買うのに迷っている初心者は此方

https://deepfw.hatenablog.com/entry/2020/01/09/200730?_ga=2.264875087.1367456965.1578168440-1591271530.1577544204

 

 

旧作品との繋がりはコレ

 

 

最初に選ぶ種族はどれがええんやっていう初心者ニキこっちな

 

 

 

魔導物語、ぷよぷよ 分かりにくいコンパイル時代と現SEGA時代をざっくり解説

 分かり辛い魔導物語とぷよぷよシリーズの紹介

こればかりはwikiを見ても長すぎて何書いてあるか読む気すらしないですね
懐かしいシリーズゲームのCMを検索してもぷよぷよと魔導物語だけは端から端までまとめられた物が
出てきません。



≪アニメ・ゲーム・キャラクターグッズ専門店≫






ぷよぷよについて

起源


どーみのす という落ちもの系パズルゲームをコンパイル社の開発者が作ったが、つまらなかったので保留に
その後、作り直して魔導物語の初期開発者が合間に作っていた物と登場するキャラクター(アルル等)と組み合わせ、作り変えてできたのが 記念スべき第一作目のぷよぷよ


広島を代表するソフトウェア開発会社まで発展、1998年3月に和議申請→経営破綻→債務圧縮
復活する為にセガへぷよぷよシリーズ全体の知的財産権が売却。
2002年8月末日まではセガの権利の使用許可の元、コンパイルが『ぷよぷよ』シリーズを継続

したが、コンパイルは再建に失敗してぷよぷよ以外の権利をアイキ(平成19年2007年に破産)
→アイキから2005年にD4エンタープライズへ権利を移行

なので、魔導物語に登場したキャラクターとぷよぷよに登場したキャラクターは権利保有者が違う
(かといって、全く出せなくなるのかと言えば違う。過去に、ガラパゴスケータイのIモードアプリ等で共演した実績はある)


完全にセガ社に権利を買収されてから単独で始めて作ったゲーム機のぷよぷよが、みんなでぷよぷよ
ぷよぷよフィーバーからではない

1998年3月(商標権)ー2000年末まではセガの権利許諾の元に開発はコンパイルという体制をとっていたが、2001年4月4日にはセガからもIモード版ぷよぷよを製作


現在の、ぷよぷよクエスト等に登場するセガ版のアルルと、コンパイル社のぷよぷよのアルルとでは
全くキャラ設定が違うのは製作者自体が違うからなんですね
こういうことはゲーム会社では度々起こります。(ファイアーエムブレムなど)


CentOS7でhyper-VやVMを使って¥円マークを打ちたい場合

 VIエディタ等を使ってHTTPD.confのコンフィグをいじりたい時に、

金のマーク”¥”を打つと”\”このバックスラッシュになってしまいますね

 

centosに限らずlinux系、bash(バッシュ)ではバックスラッシュでも内部では¥扱いなので動作します

 

 

これは、

 

初の文字集合ASCII(American standard code for information interchange)

7ビット長コードで、可視化できる文字として 0x21 から 0x7E(16進数)までの94文字が定義され(空白など不可視文字も定義されている)

この中の0x5cがbackslash 「\」に割当てられています

 

一方、日本語文字集合JIS X0201はASCII文字+半角カタカナで

JIS X0201では、0x5c が 半角「¥」に割当てられました

0x7eがASCIIではチルダ(tilder)、JIS X0201ではオーバーライン(overline)になっています。

日本語キーボード入力の場合、「\」=半角「¥」という暗黙の了解ができあがっています。

まずは無料資料請求







芸術は他承認より自己承認 芸能界は不純な競争

 芸術において、他承認より自己承認のほうが重要です。

 

理由は簡単です。

 

他承認には終りがありません。

例えば、何かの作品を作って誰かの賞を得たい という場合、審査員の価値観が評価基準となるのでその賞を取っても、参加者の中で最も優れていたとは言えません。

 

お笑いグランプリでも、視聴者票と審査員票でかなりズレがあったり、コメントも視点が違うので審査員が難しい事を言っても視聴者には伝わりません。

 

多くの場合、審査員は芸の完成度を作ってきた側からコメントしますが、視聴者にとっては面白いか、面白くなかったか が基準なのです。

 

そして、審査員ではなく視聴者側の基準に合わせて作品を作っても今度は作ったことのある人側からの支持を得ることが難しくなります。

 

審査員側に合わせれば これは理屈がわかっている 造詣が深い と言われ、

視聴者からは よくわからなかった といわれる

 

また、多くの場合 審査基準が個人の価値観であることを利用して◯◯オーディション や ◯◯賞 というのは、出来レースになっています。

芸能プロダクションとして、評価基準が曖昧な世界でタレントという商品を売っていくにはそういった肩書作りというのが大事なのです。(ビジネス上は)

一人の人間に絞って、売り出していく方が儲かります。

 

いいねを稼ぐにしても、100♥を得たら今度は1000・・・とキリがありません。

そこで、多くの人に見せつける、知らしめるといったような広告力が必要になっていきます。

当然、他社もセールスする。と、今の無駄な広告で溢れた社会になる という構造です。

 

 

そして他承認を求めてしまう世界では、不純な競争になりがちです

 

数学のテスト界 という物があったとします。

 

此方は芸術と違って、正解がありますので80点取った人は残り20点を。

60だった人は40を勉強すればよい。

 

しかし、絵や芝居となると別。どこを直したらウケるのか? 評価を得ていることは良い事なのか? その評価は国内だけで世界ではどうなのか?

完璧な絵があったとしても、どこか下手だけど良さを感じる絵に敵うのか?

 

そこで、自分も努力したのになぜしていない人間が売れるのか、

ならば審査員の心象を買おう、金で買おう、枕営業をしよう、圧力をかけよう

などという卑怯な方法を使いがちです。

 

皆さんはピカソの絵は何がすごいか論理的に説明できますか?

 

私はできません。それっぽく話してインチキを吹くことはできますが

多くの人がピカソの絵の良さを理解できていなくとも、誰よりも有名ですよね。

 

 

なので、

他人ではなく、自分が満足する作品を作る

その方が、他人に依存することもなければ、肩書に拘ることもない、悪質なコネクション作りもしなくてすむ

 

 

評価基準が曖昧な世界では自己承認が重要です。

 

例の声優のセロリ発言について

 話題が古いですが、雨のつく女性声優(本人の宣伝になるといけないのでワードは避けますがw)

が私はセロリではない という内容を発言したことで物議を醸しました。

 

要約すると、アイドルではない、アイドル声優と呼ばれることが嫌だ という矛盾した発言でした。

 

結論から言うと、セロリです 貴方は というか、貴方方は

 

 

理由は簡単です。

 

彼女の所属するミュージックレインという芸能事務所は声事協(日本俳優連盟の様な、西田敏行さんが筆頭になって作った俳優の給与や待遇を改善する団体みたいなもの)

に加盟していません。

 

※声事協に加盟していないからといって声優でない、という事ではありません。

一旦、事務所を踏み台にして知名度を得た後にフリーになる方や、そもそも事務所も養成所も出ないフリーで活躍される方も声優です。 特に定義はありませんし、

旧来のアニメ制作などで声優としてキャスティングされ表に出てきている人が所属する事務所でも、声事協に加盟してない事務所も結構あります。

もっと言うと、アイドルや歌手のマネージメントが主な事務所の中の小さい声優担当部署もあります。

 

そういった連盟に加盟しているのをアニメ声優とするならば、この条件に当てはまらないですし、加盟してない人も多いです。

 

また、

近年では珍しくもなく正当化されていますが、メインの業種である裏方業よりも

歌って踊る事が多くなれば、当然、歌手であるのかダンサーであるのか曖昧になります。

世界で売れる韓国アイドルを手掛けたJYパークさんは、

「歌手がダンサーのように見えてはいけない」

と仰っています。

 

ベースばかり弾いている人がギタリストを名乗っても、誰もしっくり来ません。

 

◯◯パン屋という店に行って、ケーキばかり置いてあったら 誰もその店をパン屋だとは認識しません。

 

 

特に現代では、個人の時代に戻ったのでわざわざ事務所に入らなくとも、自主制作することもできますし、仕事もあります。

漫画家が分かりやすいと思います。銀魂の作者さんも漫画家志望の読者にコラムにて、上京する必要はない といったことを書いています。

 

 

題として挙げた女性声優は矛盾しながらも何故か、自分がセロリであることを嫌っているのですが、

芸能事務所も時代に負けて、今まで通りの稼ぎ方はできなくなった。職人芸から人気職として方向転換した。

フリーの人たちもまた、一つではなく、多数のプラットフォーム(tiktokとかyoutube その他、海外のサイト)が出来て、個人で作って表現できる場所が増えて便利になった。

 

双方(と、もっといろんな物)の境界線が曖昧になって、芸能に限った話ではなく、

今までは限られた肩書(銀行員、建築業とか)の中で取捨選択をしていましたが、

今後はインフルエンサー とか、ティックトッカー とか、ライバー ◯◯ブロガーの様に、稼ぎはあるが業種として認知されていない(昔からいたが、日本の認知が遅いせいで)職業が沢山います。

 

事実として、旧来の肩書を重視する方法論は形骸化してしまったのですから、

今後は見方を変えてみるとよいでしょう。

このブログが云いたいこと

 ズバリ、 インチキだからこそ肩の力を抜け! です

 

世の中には、考えられないほどのウソが蔓延しています。

ウソをつくつもりは無かったが、ウソになってしまう事もあります。

そして、本質的にも法律的にも悪意があろうと無かろうと、ウソはウソです。

 

人は、必ずウソをつく生き物だということです。

ウソが嫌い という人が居ます。当然、好きな人などいませんが、ウソが嫌いという人でも常に正しい情報を発言できるか、といえばそうではありません。

 

1990年代-2010年頃からインターネットを利用してきた人であれば、理系の人間が職業の延長でブログや動画サイト、掲示板をやっていた人が多く、ウソっぽい情報はすぐに根拠を確認します。(実際に、有名な2chのテンプレに、”ソースは?”というものがある)

一部の人しかネットをやっていなかった関係上、ネットの言うことはウソだろう という肌感覚の線引を持っています。

 

しかし、それ以降に参入した人はネットとリアルの境界線が曖昧なので、TVと同じように扇動されやすい性質を持っています。

 

インターネットの一般化によって、ただのローカルな噂で済んだものが、世界に拡散されたり、

逆に、一つに拘らず個人で取捨選択しやすいツールが広まった とも言えますよね

 

ウソかどうかは根拠(アフィリエイト記事でないもの 例えば、医療であれば大学病院とか。ただし、ACですら誤情報はある。)

を確認しましょう。 というのは、常套なので、

 

インチキで出来ている世の中だからこそ肩の力を抜いてほしい というのが云いたいことになります。

 

迷惑をかけるな という言葉があります。小学生でもわかる当たり前の言葉を言い聞かせたところで、本質的に迷惑をかける大胆なタイプの人間に通用しません。

逆に、本質的に迷惑をかけるか配慮ができる過敏なタイプの人にこの言葉を言ってしまうと、余計に過敏にさせてしまいます。

 

ウソと同様に、迷惑をかけない人間などいません。 金のない親が子供を生むことは子供にとって不利な状況でスタートさせるので、子供にとって迷惑ですし、

生きていくために食べる だけでも、他者の命を奪っているので、奪われた側からすると迷惑です。

つまり、生きるということは迷惑の連鎖なのです。

 

私が芸術畑の人間なので、その延長でよく芸能の実態をはなしますが、

これも、ただ批判しているのではなく、”騙される”のと、”理解して乗っかる”のとでは、結果も異なります。

個人的にはこんな詐欺商売はとっとと消えたほうがよい と思っていますが、利用価値を見出している人にとっては財宝に見えますよね

ですから、せめてそういう 夢見がちな人たちの為に悪い人たちに騙されないようにかけるだけ実態をお教えしよう という魂胆なのです。

 

かくいう私も、過去にバイトをしていた店で給与未払があり、n十万ほど持ち逃げされています。

今でも騙されているのでしょうが、若い時はもっと騙されていました。

 

 

インチキもウソも迷惑も、そういうものだと妥協して肩書に拘らずに生きていくほうがストレスなく生きられますよ

社会人って何だ、芸能人とは何だ

 私が芸能にいた頃に”立派な社会人です”という事を念入りに言われました。

 

でもこれって、芸能に関わらず本当の意味で”大人になれ”と言っているケースは少ない

 

芸能に関して言えば、単に 君たちは商品なので本音は言わないように、世間に歯向かわないように、遅刻もしないように(こっちは残業させたりコキ使うけど!)

ということを暗に言っています。

 

実際に、お笑い芸人養成所で有名なNSCでは、コンプラの授業があり、一度でも遅刻すると退所になります。(年50万が( ᐛ👐)パァになる)

 

ぶっちゃけ、(日本芸能は違うが)芸能をやっている人間なんて偏屈で変わっています。

なぜなら、そうでなければ成立しないからです。 人と違った物がなければ意味がないから

そんな人たちが集まる界隈をさも一般的な社会人として扱うのは矛盾しています。

昭和の時代ならおそらく、世間にカウンターを打てる人が多かったので大きく変貌してしまったのでしょうけど

 

結論から言うと、私は社会人という言葉が嫌いです。

 

社会人とは どういう定義でしょうか。 色々ありますが、ここで一回 定義化します。

 

時間を守る、規律を守る、法律も守る、真面目になる...

 

考えれば考えるほど範囲が広くなりますが、でもコレって、学生でも同じじゃないですか?

 

であれば、社会人という区分けは必要でしょうか。

 

無意味なラベリング、ローカルな規範や世間像の押しつけだと考えています。

 

例えば、日本人はレッテル貼りが好きです。

 

マスコミの報道に、◯◯(47歳)など、要らん情報を付加します。

 

おっさんやおばさん もそうです。 小学生からしてみれば、ヒゲの生えた人は中学生でもおっさんであり、

早稲田大学生物学名誉教授によると、人間の自然寿命は39歳というデータがあります。

であれば、その半分(19歳)以降はおっさん、おばさんと言えます。

 

また、人間の寿命が10年延びると、10年分、相対的に若さの境界線が広くなりますよね。(要するに、30をおじさんおばさんという価値観があったとして、10年寿命が伸びると、相対値も上昇して40になる)

 

ですが、データは一旦置いといて、この無駄な価値観のレッテル貼りって必要でしょうか。

単なる自虐趣味やもうおじさんおばさんだから、とやらない言い訳づくりにしかならないですよね。

 

肩書にこだわるのをやめてみてもいいんじゃないでしょうか。

お問い合わせ

 <iframe src="https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScPI9-_o0kT1qKrp9gzpOVHTSvk-NHtYaC5v5t776kAao2bSg/viewform?embedded=true" width="640" height="856" frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0">読み込んでいます…</iframe>

未成年同士の性交も勿論、違反である 18歳以下は性交禁止にすれば望まぬ妊娠も無くなる

 巷で大きく関心があり皆さんの大好きな話題となっている未成年の性交についてですが、

 

色々と嘘が多いのでここで整理してご紹介します。

 

1.未成年x未成年の性交

 

法律上は性交同意年齢によって、13-15までは5歳差であれば、刑法には触れません。

 

ですが、青少年保護系の条例に違反する可能性が極めて高いです。

 

まず、”淫行”は、未成年x成年に限定される話ではありません。

 

もちろん、未成年同士でも淫行と捉えられるケースは多いです。

 

例えば、未成年はセックスをする場所がありません。 家には親がいますし、ラブホテルは使えない(使ってる例はあるけど普通に違反)

かといって、公園やトイレですれば公然わいせつや猥褻物陳列罪、迷惑防止条例、青少年保護法違反に該当する可能性が高いです。

つまり、ヤる場所はないので、仮に法律がゴーサインを出したところでどちらにしろ違反になります。

 

 

2.未成年x成年

 

16歳以降であれば法には触れません。因みに、それ以下であっても”恋愛”を規制する法律はないので問題はありません。

一応、法律には”真摯な交際”と記載がありますが、”真摯”というものが定義化できないですし、成年であれば不純な付き合いを社会通念上してよいのか?といえばそうでもありません。

成年同士でも売春や淫行は法律で禁止されています。

とすると、背理的に”真摯”はほぼ意味がなく無効化されますので、普通にお互いが良く付き合っていれば特に問題はありません。

(レイプなどは暴力に該当するのでアウト)

 

3.成年x成年

 

これは少し脱線しますが、わかりやすく言うと、

未成年には手を出してはいけない といいますが、

では、おばさんであれば出してよいのでしょうか? もちろん、ダメですよね

 

まとめると、成年同士でも不純な付き合いや淫行は違法ということになります。

未成年の女性ばかりがピックアップされていますが、全女性に対し、不誠実な扱いは違法になりますよ ということです。

 

そして、この話にはつづきがあります

 

不同意性交罪というものが新たに施工されました。

 

これは、どういうことかというと、

 

年齢に関わらず、性交する際に同意の確認が取れる確実的な証拠(紙媒体や音声などの記録)が必要になり、

非親告罪ですので、確実的な証拠がない場合、被害者の告訴なしで刑事介入ができる ということです。

新しい法律ですので、合意があったにも関わらず被害者側がゴネたから刑事が動く といったことが実際に起こり得るかどうかはまだ判例がありませんが、

痴漢冤罪事件と同様に、よっぽどの無罪を証明できる証拠がなければ法律上は被害者の供述ベースで事件化できるようになっていくと思われます。

 

 

 

ここからは私見になりますが、

 

・根拠のない5歳差要件の謎

 

→法曹に対し弁護士がこの法律について、討論をする機会があるのですが、5歳差に対する根拠や、「不同意性交罪による冤罪の増加が考えられるが、対策はあるのか?」という問いに対し歯切れ悪く濁した回答でした。

 

例えば、18歳以下は一律で性交禁止にすれば、望まぬ中絶もなくなるのに

謎の5歳差要件が設けられました。

名目としては、未成年同士の恋愛の自由だそうですが、 そもそも昔から未成年の中絶や性知識の脆弱さは問われ続けているのに

法律が5歳差であれば未成年同士のセックスをOKとするというゴーサインを出すのはおかしいですし、

恋愛=セックスしてもOK と捉えるのは破綻しています。 愛情表現はセックスだけではありませんし、未成年という年齢上、愛情でセックスをするとは考えられません。

完全に性欲で動いているでしょう。

 

13歳という数値が明治時代から性交同意年齢は変わっていないと 無能記事サイトが記載していましたが、

結婚前性交渉を禁止する国や、16歳でタバコを吸える国、20歳以下は性交禁止の国もあります。

どうせ引き上げるなら 曖昧な年齢要件を設けるよりも一律禁止のほうが問題解決はできるでしょう。

 

余談ですが、労働8時間も明治時代から変わっていません

そちらの方が社会全体に関わる問題ですので、重要だと思います

 

 

今後は規制が強まる一方ですので、年齢を問わず性的なことの禁止事項が増え

少子化が加速すると思われますが、

レイプ以外に寛容になって、年の差でも同年でも自己責任にしてしまったほうが、国益に繋がると思いますが

このまま出生率も生産高も上がらず沈没する日本も見てみたいので、

一周回って私も規制化に賛成していこうと思います。

ゲームはオーディオブックでも、ビジュアルノベルでもない

 おはようございます。

 

ゲームの本質的な面白さは1990年代前後には殆ど完成しています。

 

パズルであれば、テトリス、ぷよぷよ

 

シミュレーションでいえば、ファミコンウォーズ

 

RPGで言えばドラゴンクエストやウィザードリィ など

 

 

現代におけるゲームは、オーケストラを起用した音源や、楽器数の多い曲、

 

テクスチャの多い綿密なグラフィック(要するに、リアルな人間とか)

 

不必要な声優の起用

 

確かに、美麗なグラフィックや大掛かりなサウンドがゲーム体験の質に全く効果を与えない とは言えませんが、近年のゲームは本質的なゲームクリエイトをサボって”ゲーム”の中核とは別方向に逃げすぎです。

 

世界で売れているゲームには余計なボイスも、綿密なグラフィックも、大掛かりなサウンドもないことはデータを見れば明らかです。

 

1位、マインクラフト

2位、テトリス

3位、WIIスポーツ

 

また、ドラクエシリーズ内でもボイスありのドラクエ11は売上5位程度ですし、

 

レトロゲームでボイスのあったリンダキューブ、スターオーシャン、テイルズオブファンタジアなどより、ボイスのないドラクエ3やFF7の方が社会現象を巻き起こし、売れていることは明らかです。

 

ただでさえテキスト量多いのにねっとり喋られたら何時までも終わらないですし、ゲームを購入した人はオーディオブックを読みたい訳ではありません。

グラフィックばかり綺麗で肝心の中身が疎かでは映画を見たほうが良いです。

 

どうしてこうなったかというと、ゲーム会社や起用する芸能側の利権が確立されたことが大きな要因です。

 

例えば、コンパイル時代のぷよぷよは 社員が声を当てたりしていました。

その方が、人件費やかける時間は大幅に浮きますので、ゲームの中身に着手できる時間が圧倒的に増えます。

現在は、仮にガヤであってもひいきにしている事務所から 今、所内でプッシュしている売り物(キャストのこと つまり声優とか)がいるからこいつを絶対出してくれ

と圧がかかります。

個人単位であれば好きなように断れますが、会社だとそうはいきません。

ガヤくらい自社で録るか、とか キャラに合ってないじゃん!と思っても決まり事ですので逆らえません。

 

こういった、ユーザには全く関係のない利権構造が出来上がっていて、ゲームの中身とは全く関係のないところで無駄なコストが発生しているというわけです。

 

従って、ある程度は自由に立ち回れるインディーズが台頭しはじめている とも言えますね

 

様々なゲームの方向性があるのはよいことですが、利権にお金を払っているのか、中身に払っているのか 考えてみて下さい

基礎という言葉に隠れた罠

 芸能の世界でも、基礎という言葉がよく使われます

 

でも、基礎って何か説明できますか?

 

一絡げに基礎といっても色々な基礎があります。

 

音楽で言えば、弾き方、理論、楽器の歴史、作曲者の歴史

 

私も華やかに見える応用より、基礎みたいな武骨な方が好きですが、ちょっと考えてみて下さい

 

音楽の歴史や理論を学んだところで、本当によい曲って作れると思いますか?

 

知見が深いのは良いことですが、曲の良さには直結しません。

 

これは良さ というのが曖昧で主観的(感想)なものだからです。

 

わかりやすく言うと、音楽理論を知らないで作曲して売れている人もいる ということです。

 

私は何度もこのブログ内で売れてる=良さではない と言っていますが、資本主義の世の中に毒されると、多くの人は 売れている=良さであると語解をします。

 

役者の養成所でも、基礎が大事ということが繰り返し実しやかに言われますが、

 

そんなものがあろうがなかろうが、売れなければ芸能事務所という株式会社の社員(形式は契約ですが、いいように使われるのでほぼ社員として)としては利益になりません。

 

芸能でやりたければ、基礎<目先の利益、SNSであれば自由 ということが言えますね

 

 

全てのアーティストは農家や水産業の方が存在価値があると理解しなければならない

 おはようございます。

 

能登半島地震の件で、とある芸人さんがライブをやりに行ったら被災地の人に真冬の中水をかけられたという話がありました。

 

裕福な人は被災者の気持ちが理解できないので、私たちが音楽やお笑いライブをやって元気づけにいこうぜ なんて思っちゃうのかもしれませんが、

飢餓状態で明日生きているかもわからない状況で芸術なんて見て笑えますか?普通に考えて

 

多くの裕福な人は、地味な産業より芸能人の方が華やかですごい と言います。

 

しかし、それを見ているファンも、その芸能人も 飯や睡眠を取っていきています。

 

その食料は農家、水産の方たちが生産しています。

 

もっというと、そこには生物の命を殺して成立しています。

 

農家は歌など聞かなくても生産することはできますが、飯を食わない芸能人や人間はいません。

 

なかなか理解されない話ですが、産業の方や犠牲になる生物が居てこそエンタメは成立します。

 

芸術<生産業<生命 なのです。

 

そういった事実を全てのアーティストは理解しなけれなりません。

 

そして今、その農家になる人が減少傾向にあります。

 

そのうち、夢すら見られない世界になりますよ

声優になりたい人 必見 どこにも書いていない真実をお話します

 おはようございまーす

 

今回は声優や養成所について書きます

 

まず、前提として、どの芸能事務所・養成所でもそうですが

 

実力ではなく、信用商売です。

 

一昔前なら実力派(にやや偏った)パターンも存在していたのですが、とくに今だと、コンプライアンスやSNSの普及により不祥事で芸能事務所という会社経営が一夜にして終わるといったことが普通に有り得るので、かなり過敏になっています。

現在の養成所のタレント募集要項を見てみると分かりますが、大抵

 

”今の” ”ニーズ” ”人間性” ”社会人” ”マナー” ”礼儀”

 

などが必ず書かれています。 我が社は実力派だ! といった事務所は存在しません。

なぜかというと、理由は大きく2つです。

 

1.スポンサーがつかないから

 

例えば、ジャニーズや松本人志さんが最近だとわかりやすいですが、昭和の時代を牽引していた程の年数とブランド、コネがあるこのお二方ですら、ちょっとした事で地盤がぐらついてしまう時代です。

それを、どこの馬の骨かもわからない新人(からベテラン)のせいで事務所の命運が揺るがされるなんて、企業からしてみればたまったもんじゃないですよね

 

取り組んでいようといまいと、株式の世界ではSDGsアピをしていない企業は見向きもされません。

それと同じように、法律どうこうではなく世間に喧嘩を売らない、騒がせない人間であるかどうかが最重要なのです。

それを養成所の2,3年間で見極めます。

 

芝居というのは誰でもできますし、みなさんも一度は人生で行っています。

例えば、隠し事をする際、バレないように本当っぽく演技をします。

このことを ”一芝居うつ” といいます。

 

なので、芸術の世界は絵でもダンスでも、素養さえあれば年間n十万など払って講義(笑)など受けなくても実力があればすぐ所属できます。

(しかも、その講義をするのはだいたい、ろくすっぽ売れずに年数とギャランティだけが上がり事務所内で使えなくなってしまったお荷物を自社の養成所や専門学校で使うというなり損ない先生による講義)

しかし、それだけではいけません。

実力だけある人は確かに職人芸者です。 が、そういう人は皆さんも想像するに容易だと思いますが、非常に堅物で偏屈です(私もそう)

 

今の声優は職人芸ではなく、人気職(アイドル)なので、清純であれ、真面目であれ、誠実であれ 世間にとって都合の良い偶像 を求められます。

それをアピールできる信用を2、3年という中で勝ち取っていきます。

本当に実力というものがあるのなら、何年経とうが、養成所など経由しなくともそのまま直通できますが、そんな例はほぼありません。(おえらいさんとコネクションがあって直通する例も稀にありますが)

 

緒方恵美さんがベアボートという声優の中では数少ない事務所斡旋型(実際にどれくらい斡旋できたのか非公開ですが)の私塾というものを近年、開きましたが

わずか3年程度で閉じてしまいました。

やはり、あれぐらいキャリアのある方でも個人の力では限界があるのでしょう

それぐらい、業界のコネは強固なのです。

 

 

2.芸術の世界では”実力”は曖昧だから

 

実力って何でしょうか

 

例えば、歌の世界でいうと、日本の文化では紙(しょうじ)や木で創られた建築物が多く、高い声がよく聞こえます。

一方、イタリアでは石の家が多く、低音がよく響きます。

 

なので、日本で好かれる日本好みの味付けと、イタリア好みの味付けは全く逆です。

 

芝居の世界にも同じことが言えます。

 

実力というさじ加減は皆さんの中にあって、それぞれ全く別のものさし、価値観があります。

 

エレキギターとアコースティックギターはどちらが優れていると思いますか?

 

どちらも同じギターなのに別の楽器で、別の良さがありますよね。 それだけです。

 

数学のテスト界 というものがあったとします。

 

こちらは明確に点数差があります。 80点取った人は残り20点を 60だった人は40の勉強する伸びしろが、明確に数値化できます。

 

しかし、芸術はできません。 変に見えても見方を変えればその人の味 で終わりなのです。

 

 

これからなりたい という人は、是非 芸能界は 信用商売、コネクションのほうが重要であるという事実をもとにアピールしていくといいですよ

世界で売れるゲームを作るのに声優や高度なグラフィックは要らない

 おはようございます

 

皆さんは、世界で最も売れたゲームって何だと思いますか?

ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーでしょうか

 

残念ながら、日本でもハルマゲドンを巻き起こした両者でも世界から見るとあまり売れていません。

 

世界で最も売れたゲームは

 

1位、マインクラフト

 

2位、テトリス

 

3位、WIIスポーツ

 

 

データを見ても明らかな様に、3位内全てに綺麗なグラフィックもなければ、これといってハッキリとした声優もいません。

 

更に、マイクラとテトリス 実は、両者とも元は個人開発のゲームなのです。

 

世界で売れるゲームを作るのには、会社やグループである必要すらない ということが証明されているのです。

 

 

日本内で見ても、ボイスありのドラクエ11が360万本(PS4,3DS合計)の売上ですが、

 

ドラクエ9は440万本 ドラクエ7が406万 ドラクエ3が380万 ドラクエ8が370万

 

つまり、全体の中でもボイスありドラクエの11は5番目と ボイス無しを超えていないのです。

 

また、ドラクエ1-3と FFは社会現象を巻き起こしていますが、

 

リンダキューブ、スターオーシャン、テイルズオブファンタジア、デスティニー、エターニアなど、

当時もボイスのあるPS SFCのゲームはあったものの、どれも大々的にニュースにはなっていません。

 

現在では繊細なグラフィックだとか、フルボイスなどが謳い文句としてよく宣伝されていますが、

それはゲームの本質でしょうか。

 

本質的なゲームデザインから逃げるクリエイターには失望しますね

 

真実、ゲームの本質は古来から音楽理論と同じで完成されています。

 

SLGならファミコンウォーズ、落ち物ならテトリス

 

ですが、現在でも 個人開発者のトビーフォックス氏が制作したアンダーテールなどインディーズで

 

個人でも面白く、ユニークなゲームを作ることができます。

 

企業だからと圧倒されず、考えてみてはどうでしょうか

 

芸術と芸能は似ているようで別

 おはようございます。

 

芸術とは、自らの表現で自由に描き、発想し、表現するもの(”解放”)です。

 

しかし日本における芸能は、キャリア(芸歴)、コネクション、タレント性(本人の顔やスタイル、性格とか)でお金を稼ぐ(”独占”)商売です。

そして、何とかナンバーワンギタリストー とか、世界的歌手(日本の一部だけ)と

まるで正解かの様に言って、その他が秀でていないかのような謳い文句でセールスします。

よく、有名じゃないから、とか 金を稼げていないからアーティストとして劣っているという言い方をする残念な人が居ます。

では、例えですが 年収1000万のコブクロさんに対し、年収500万のサザンオールスターズさんの歌は500万円分 劣っているでしょうか?

そんな事はないですよね

 

原因の一つとしては金を稼ぐ(食い物にする)、マネタイズです

 

企業としてやっていく以上、配下を食わせないといけない、株主の顔色を損ねないようにしなければならない、等があります故

 

芸術という能力の証明ができない以上、肩書やタレント性で売り込むしかありません。

 

そうすると、限界が来ますので今度は他人を蹴落とすというのが選択肢に入ってきます。

 

 

これからは、個人の時代に戻りますので ゲーム制作エンジンも無料で手に入りますし、DAWソフトも無料で高機能なのがありますし、イラストソフトも無料でありますし、それを公開するプラットフォームもネットにあります。

そして、長年 絵を書いてきた人等が無料で動画を公開しています。

専門学校に行く必要も、養成所に入る必要もありません。

これからは貴方達の手で切り拓いて下さい。 もちろん、私もそうしています。(自戒も込めてw)

 

その上で、

 

私も一度、事務所に入っていますが、考えてみれば会社に帰属するというのは”甘え”でした。

要するに、自分で稼げないから会社に入社し利用させて下さい と言っているのです。

 

本当に稼ぐ力(芸術を ではなくお金を)のある人は個人でやっていきます。

 

◯◯で食っていく という言葉がありますが、

 

食う というのはそんなに重要な事でしょうか? そんなにお金が欲しければ、別に芸術でなくとも、週7日間バイトをすれば安定して暮らせますよね。

金は別のところから引っ張ってくればよい

 

自分にとってお金以外の重要なものを芸術に見出したからやるのではないでしょうか

そもそも、お金がほしいなら芸術じゃないほうが稼げますよね

 

お金にとらわれず、開放的に 自由な表現で臨んだほうが健全です。

 

芸術の前では平等です。 全て等しく否定され、肯定もされます。

 

皆さんは何を以て芸術の世界に飛び込みますか?

散々 芸術を食い物にしてきたAI反対派の皆さん、社会のガンな貴方たちへ

 おはようございます。

 

今回は散々、芸術を食い物にしてきたにも関わらず、AIに負けてしまうクソザコアイデンティティの皆さんについて解説したいと思います。

 

どういう事かというと、コチラの記事でも解説しましたが

deepfw.hatenablog.com

まず、”芸術”そのものでお金を稼げた事例は一握りです。

 

例えば、芸能事務所に所属し、役者を売る場合、広告する人、マネージャー、経理、社長、事務所の肩書など様々な役職の人が居て成立します。

 

役者本人が芝居だけで稼いでいる訳ではありません。

 

どんなにその人が実力(といっても、日本でウケたところで海外では全く通用しないなどあり得るので芸術の世界で実力という言葉は曖昧なのですが)

があっても、宣伝(セールス)の仕方によっては誰も興味を持ってはくれません。

 

youtubeというプラットフォームでも、胸や肌を露出し本人の性的魅力をアピールしつつ、ピアノを弾く動画があります。

 

この場合も、本人の演奏のみ で稼いでいるとはいえません

 

お金を稼ぐ という事は綺麗事ではなく、狡猾な手を打つ必要も出てくるので否定をしている訳ではないですが

 

先述の通り、芸術の世界では能力の証明が不可能なので、コネクションや本人のタレント性(誠実、真面目とか日本好みの)、キャリア(芸歴)を誇示する事でしか表明ができません。

芸能でお金を稼ぐとなると業態が不純になりがちです。

 

「セクシー田中さん」原作者・芦原妃名子さん もそうですね。

 

 

一方で、所ジョージさんの様に youtubeでフォークソングの動画を出していたが、youtubeが無広告動画にも広告をつける、と発表した後にお金がついて回るならやらない

といった 敢えて芸術を食い物にしない方がいます。

また、所さんは動画内で 他人の曲なんか引かなくていい ギターの練習なんて自分で好きなように弾いちゃえばいい とも言っています。

芸術の本質ですね。

芸術と芸能は似ているようで別の方向を向いています。

 

本題です。

そんなに金が欲しければ週7でバイトをすればよいのに、金に目がくらみ芸術を散々食い物にしてきた人たちが今、機械の発展によってその稼ぎ場が脅かされ、反対運動を起こす頭の悪い人たちがいます。

 

昔、洗濯物は洗濯板を持って川へ行き洗濯していました。

木を擦って火を起こし、肉を焼いていました。

 

現在は洗濯機があり、電子レンジがあります。

 

世の中”全体”がより良く便利な方向へ進み社会の発展に繋がることは明らかなのに、

 

機械音声やAI絵を否定してしまう人が居ます。

 

洗濯屋さんが可哀想だから洗濯機を使わないのでしょうか?

 

感情に左右される人間よりも機械音声のほうが、地震の際、安定して音声を届けられます。

 

皆さんは社会の発展を停滞させる残念な人でしょうか、それとも調和できる人でしょうか。

 

芸能界とかいう詐欺商売について

 日本には本質的には詐欺と変わらないけれども、法律上には抵触しないものがあります。

 

その一つが、芸能とよばれるものです。

 

事例はいくつもありますが、例を挙げると、広末涼子さんがタイムリーで分かりやすいですね

 

皆さんは普段、世間をどの様に見られているでしょうか。 特に何も考えていない、楽観的に見ている人や、専門的に見ている人、お金の流れを見ている人など沢山ありますね。

 

”芸能事務所”といっても、”株式会社”です。商品を販売し、利益を発生させ、株主総会を開き、筆頭株主たちを満足させなければなりません。

 

日本の多くの人が見落としがち(アメリカでは小さい頃から安く購入したチョコを利益を上乗せして身内に販売するといった教育がされていたりします)なのですが、

音楽、芝居、絵そのもので食べている訳ではありません。

 

経理の人が居て、宣伝をし、マネージャーが居て、社長が居て、事務所の名前というブランドがある

 

つまり、芸能事務所で言うところの商品はタレント、”広末涼子”なのです。

 

広末涼子さんという商品を”清純”とアピールしてプロモーションしたにも関わらず不倫が報道されてしまい、実は”不純”だった

 

清純という商品が実は不純だったのだから、これは本質的には詐欺と一切変わりありません。

(※不倫は民法ですから犯罪ではないですし、刑法であっても当事者間の問題であり9割の人は関係ないので個人的には、広末さん本人を責めているつもりはありません)

 

 

最近の若い人は田舎民でも訛らないという語解

 最近の若い人は田舎民でも訛らない、共通語を話す と言う人をよく見かけます。

 

昔と比較すると、確かに方言を使う人は少なくなりました。

 

ですが、イントネーションに関して言えば全くそうでありません。

 

例えば、”なまら” ”◯◯しんと” ”◯◯ずら” 等、土地特有の言葉を使うことは減っても、発音には訛があります。

 

逆説的に、関東人が関西弁を使うと、”バカにしているのか”、”エセだ” などと批判されます。

ですが残念ながら、それは東京以外の人が共通語を喋った時にも同じことが言えます。

 

私がよく耳にするのは多くの場合、そういう人は ”でも、(私って)全然訛ってないでしょ?” と自負しています。(いくつか挙げるとその人達は福島県民と三重県民でした。)

いや、訛っています。

その土地では訛っていない方だとは思いますが。

 

 

文法による訛は除くことが出来ても、生まれ育った土地で聴いてきたイントネーションによる訛までは除くことが難しいんですね。

聴くだけで簡単に真似する事ができるのなら、エセ共通語、エセ関西弁など生まれないですし、それならば、TV全盛期の時代に方言はほぼ絶滅することになります。

 

ですが、案ずる事はありません。

 

そもそも、方言はその土地の文化であり個性です。除く必要もないし、恥ずかしがる必要もありません。

また、現役のアナウンサーやナレーターですら育った土地の訛はちょいちょい出てしまうものです。

それを、普段から気をつけていない人が簡単に訛を除くというのは不可能なのです。

 

なので、ガンガン訛っていきましょう。

NO.1よりオンリーワン

 日本では頑張ったら報われるという迷信が多く蔓っています。

 

ですが、環境によって盤上をどうやってもひっくり返せない、という状況のほうが人生は多いです。

 

例えば、格闘技の世界でも40代の現役を引退したメイウェザーに日本人の朝倉未来さんや那須川天心さんは勝利する事が出来ませんでした。

(私はどちらの方も応援しているのですが。特に、那須川天心は165cmという身長で多くのファイターを倒してきています。)

生まれながらに華奢で肉や脂肪がつきづらい民族よりも、フランク族の方が圧倒的に筋肉量も、身長も高い訳です。

もちろん、技や体格差を利用した攻防はありますが。

 

グローバルな視野でみると平均身長より高いとか低いとか数cmであれこれ争っている日本人よりも数十cm高い人たちがいる訳です。

モデルとしてもその方が適しています。

 

走りの世界でも、遺伝子的にケニア人と日本人を比較すると、ケニア人のほうが圧倒的に速く、実際に優勝者を見てみるとケニア出身が多いです。

 

歴史上の戦争でも、ジャレド・ダイアモンドによる 銃・病原菌・鉄 という本があるのですが、要約すると なぜ勝利できるのかというと、恵まれた場所(そういうのに適した環境)だったから。 と語られています。

 

競争そのものは良い事ですが、不純な競争をするより、自分軸を持ったほうが良いと思います。

自己顕示欲を満たすための道具として芸術を使うのは、犬猫好きを称して檻の中に入れるのと同じ(室内飼いではない)

 (室内飼いのことではありませんw)

アーティストを目指す と言うと、有名になること がセットとして捉えられていますが、

これは誤りです。

 

芸の道を進む人(といってもそこまで本質的に考えてない人が殆どですが)は、細分化すべきです。

 

1.有名になりたいパターン

 

芸術でなくとも、有名になる方法は幾らでもあります。

 

 

2.金がほしい

 

金が欲しいのであれば、一般的な仕事をしたほうが確実です。

 

 

例えば、有名な歌手になりたい 思ってる人は、”有名”が優先度を高くしています。

 

芝居で飯を食いたい という人は、芝居と同じくらい飯を食うことを重要視しています。

 

有名になりたい のであれば、歌唱力よりも、プロモーション(広告) 宣伝をしていくスキルの方が重要です。

 

芝居で金を稼ぎたいのなら、何の練習をしなくとも嘘(演出)が上手な人もいる中で、どの様に稼いでいくか という、金を得る(マネタイズ)ビジネススキルの方が重要です。

 

芝居や歌唱力が人より上手であれば、自ずと人は集まる などという甘い世界ではありません。

色々な理由がありますが、第一は いくら当人が練習しようと結局は見た人や時代に合っていたかによって評価基準がコロコロ変わるからです。

 

詩人のエドガー・アラン・ポー(江戸川乱歩ではありませんw)も芸術のための芸術にて近いことを云っています。

 

ja.wikipedia.org

 

我々は詩をただ詩のためだけに書こうと決意するようになった(中略)そうしたことが我々の意図であると認めるならば、我々は真に詩的な威厳や力に根本的に欠けていると告白せねばならぬだろう。しかしながら純然たる事実としては、我々がただ我々自身の魂の中を覗き込むに委せるなら、まさにこの詩、この詩それ自身、詩でありそれ以外の何物でもないところのこの詩、「ただ詩のためだけに書かれた詩」よりも威厳のあり高貴な作品などはこの世界には存在せず存在し得ることもないことを我々は直ちに発見するであろう。

 

 

ここまでを要約すると、芸術が好きだからこそ金や名声を得るための手段として使わず、本当の芸とは何なのかを追究している者に勝るものは無い

という事です。

 

お金目当ては功利主義ですし、名声目当てなら承認欲求を満たそうとしています。

 

しかし、多くの人は”プロ”という肩書を求め、どうだ 私はどこかに所属して金を稼いでいるんだという権力欲に囚われています。

 

純粋に上手くなりたいのであれば、メジャーになった なってない で争いません。

これは評価する客側も同じです。メジャーじゃないからダメだ という人は今の時代でも一定数います。

 

考えてみると分かるのですが、”飯を食う”と言っても いくらの事を指しているのでしょうか

質素な人や倹約上手であれば、月10万もあれば生活できてしまいます。

 

お金を稼いでいれば一人前 というのも、今の時代では

例えば、明日からギターを持って配信すれば1円はすぐに稼げますし、

ある程度フォロワーの居る人なら既に名声を得た状態でスタートするので、すぐに有名●●になることができます。

 

アーティスト(芸術家)と言っても、有名ではないが、伝統ある昔のやり方、昔の画法でひっそりと店を構えている人もいますし、

前衛的すぎて時代が追いついていないが、マニアからは愛されているケースもあります。

 

逆に、”プロ”となってしまったが為にフリーの営業がしづらく仕事がない

なんて人も大勢いるので、肩書に拘らない方が視野を広く生きられますよ

 

 

音を良くするために高い楽器を買えという論調は限界がある

 楽器は10万-20万のを最初に購入した方が良い なぜなら高いと良いから

という話をよく耳にします。


プロ()は音を良くしなければならないから20万程度を買う! というのも聞きますが、

音や性能を良くしたいのなら、100万、1000万出すべきです。


例えば、100万単位のギターがあったとします。

そこで、性能を良くしたい人が20万の楽器を買います。

高いものが絶対的に良いのであれば、20万といわず最高級の値段を払わなければ理論上は80万円分、音が劣ってしまうことになりますよね


この様に、楽器には際限がありません。

私がいつもブログで言っている様に、ブランドや値段ではなく好きなギターでプレイすべきだ という事です。


まず、仮にどれだけ音を追求したところで そもそも現代の若い人はサビや冒頭の10秒程度(ストーリー)しか聞きません。


◆イントロは飛ばしてサビだけ聴く 若者の間でイントロはおろか、Aメロ、Bメロも飛ばしてサビだけを楽しむ者が増えていることをご存じだろうか。 米オハイオ州立大学の大学院生であるユベール・レヴェイエ・ゴヴァンが、1986年から2015年までのビルボードチャートのトップ10に入った曲について、年代ごとの曲の構成や要素、タイトルなどの変化を分析したところ、1980年代はイントロが平均で約20秒だったのが、現在は約5秒にまで短くなっていることがわかった。 この背景にはサブスクの急速な普及があるといわれている。 音楽メタデータ会社「EchoNest」のデータサイエンティストであるポール・ラメールは、2014年に自身のブログで世界中の数百万Spotifyユーザーの数十億再生を分析し、スキップ率のみを抽出したデータを公開している*1。 ストリーミングでは一般的に30秒以上再生されないと「1再生」としてカウントされず、収益にならないといわれているが、ラメールによれば視聴者が曲を冒頭から聴いた場合、5秒以内で24.14%、10秒以内で28.97%、30秒以内で35.05%、曲をスキップしていた。 一般的なSpotifyユーザーが1時間で曲をスキップする平均回数は「14.65回」であり、4分に1回スキップする計算となる。 また、スキップ率を見ると10~20代が最も高く58%である一方、30代半ばになるにつれて減少していくが、40代後半から50代前半になると再び上昇する。 この理由についてラメールは、スキップ率はその人の自由時間の長さを表しており、10代の若者はストリーミング中の音楽選択に割ける時間が多いのでスキップ率が高いが、年齢が上昇するにつれて子育てや仕事のなかでストリーミングを利用しているユーザーが多く、音楽プレーヤーに気を配る暇がないと分析している。 あわせてSpotifyのアナリストであるクリス・タイナンは、40代後半のスキップ率が再上昇する背景に、子どもたちが親のアカウントを利用しているため、親が好んで聴いている曲をスキップしている可能性があるとも分析した。 *1 The Skip | Music Machinery https://musicmachinery.com/2014/05/02/the-skip/

https://news.yahoo.co.jp/articles/a836f625ab526f874da4e740305c53b4557a0460

引用


それと、値段が上がることで仕上がりも良くなるので 音というより弾きやすさが良くなった様に感じるというのがあります。

否定はしませんが、逆に言えばお膳立てされている ということです。

そもそも、高い楽器を使って良い音が鳴らなかったら単なる詐欺です。


なので玄人志向こそ安物でプレイしてみる というのはアリなんじゃないでしょうか


2024年3月4日月曜日

プライバシーポリシー

 

当サイトに掲載されている広告について

当サイトでは、第三者配信の広告サービス(GoogleアドセンスA8.net 、Amazonアソシエイトバリューコマースもしもアフィリエイトafbアクセストレード

を利用しています。
このような広告配信事業者は、ユーザーの興味に応じた商品やサービスの広告を表示するため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報 『Cookie』(氏名、住所、メール アドレス、電話番号は含まれません) を使用することがあります。
またGoogleアドセンスに関して、このプロセスの詳細やこのような情報が広告配信事業者に使用されないようにする方法については、こちらをクリックしてください。

当サイトが使用しているアクセス解析ツールについて

当サイトでは、Googleによるアクセス解析ツール「Googleアナリティクス」を利用しています。
このGoogleアナリティクスはトラフィックデータの収集のためにCookieを使用しています。
このトラフィックデータは匿名で収集されており、個人を特定するものではありません。

この機能はCookieを無効にすることで収集を拒否することが出来ますので、お使いのブラウザの設定をご確認ください。
この規約に関して、詳しくはこちら、またはこちらをクリックしてください。

当サイトへのコメントについて

当サイトでは、スパム・荒らしへの対応として、コメントの際に使用されたIPアドレスを記録しています。

これはブログの標準機能としてサポートされている機能で、スパム・荒らしへの対応以外にこのIPアドレスを使用することはありません。

また、メールアドレスとURLの入力に関しては、任意となっております。

加えて、次の各号に掲げる内容を含むコメントは管理人の裁量によって承認せず、削除する事があります。

  • 特定の自然人または法人を誹謗し、中傷するもの。
  • 極度にわいせつな内容を含むもの。
  • 禁制品の取引に関するものや、他者を害する行為の依頼など、法律によって禁止されている物品、行為の依頼や斡旋などに関するもの。
  • その他、公序良俗に反し、または管理人によって承認すべきでないと認められるもの。

免責事項

当サイトで掲載している画像の著作権・肖像権等は各権利所有者に帰属致します。権利を侵害する目的ではございません。記事の内容や掲載画像等に問題がございましたら、各権利所有者様本人が直接メールでご連絡下さい。確認後、対応させて頂きます。

当サイトからリンクやバナーなどによって他のサイトに移動された場合、移動先サイトで提供される情報、サービス等について一切の責任を負いません。

当サイトのコンテンツ・情報につきまして、可能な限り正確な情報を掲載するよう努めておりますが、誤情報が入り込んだり、情報が古くなっていることもございます。

当サイトに掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

プライバシーポリシーの変更について

 

当サイトは、個人情報に関して適用される日本の法令を遵守するとともに、本ポリシーの内容を適宜見直しその改善に努めます。

修正された最新のプライバシーポリシーは常に本ページにて開示されます。

運営者:クポマン

 

 

https://redo5151.hatenablog.com/entry/2019/10/03/privacy

こちらより参考にさせてもらいました

 

人気≠稼ぎ≠技術

 混同されがちですが、人気と稼ぐ力と技術は別方向です。 ・音楽で例えた場合 クラシックは現代にも残る音楽理論を体系化し、多くの大衆が好き好んで(いる人も多少居ますがポップスよりは)聴いている訳でもないが、義務教育の授業にもあり偉人達として知られている。 ポップスは大衆が好き好んで...