2024年8月29日木曜日

本当に我の強い人間は嫌われる

 何者かになりたい とか 自我を出すな 、と


どこで発病してるのかわかりませんが、ちょくちょく最近聞く言葉。


これを聴くたびに この敗戦国ってついに色まで奪われたのか というか、自ら縛られたり奴隷になりたがる国民性って普遍なのかと哀しくなりますが。


よくわかんないので、予想ですけど、無色な人間が増えたんだな、と。この言葉が生まれるということは。


色なき者は色濃いものに憧れる


それで、色濃い とはナンゾやって話になるんですが。


無色の人たちが思う色濃いというのは、客観的にみた世間体とか他人から見て価値があるか?の事だと思います。

要するに、金持ちとか、どこかの会社に入ってる肩書、結婚して幸せ”そう”とか、子供がいる、恋人がいる、フォロワーが多い

といった様な、中身ではない表面的な部分。


実態として、結婚しても家庭は冷ややかで居場所がないとか、肩書だけ持って中身が伴わないとか、フォロワーは居るけど気心知れたリアルな関係は殆どないとか


幸せそうに見える人間ほど問題を抱えているもので。



憧れている間はソイツにはなれない という事ですけど。


他人から見て全く価値の無い行動や趣味があって楽しいという人は客観ではなく主観で見た幸福と成功者なので、

これがアイデンティティであり自我そのものなんですけど、


多くの人は 他人からどう思われるかという他人軸で生きていて、


尚且つ、その人達が憧れている成功者って実は憧れている人たちと同じ色なき無色の人なんです。


ポロっと出る芸能人の素顔に 意外と庶民的~ なんて言ったりしますけど、


配信やTVで演出された表の部分、その裏側は庶民でしかなく、我々と何ら変わりないしょうもない人間で、

毎日キャビアやフォアグラを食べている富豪なんて珍しく、普通に牛丼屋チェーンとか食ってたりします。


で、何で成功者になれるか? と言うと、前述の通り”庶民的”、あくまで一般大衆の中で見られる存在になったというだけで、

本当に色濃い人間は村八分にされていると。


このブログでも再三言っていますが、前に出てくる表現者として金を稼ぐためにはポリコレや世間、会社に対し事実や本音であっても正しいことを言ってはいけません。


ですが、我の強い人間ほどぶつかるので、言わずにはいられない。


しかし、言ってしまえば異を排除しようとする連中が出てくる。



まとめるとこの国で成功者と”呼ばれる”人は、一般大衆と全く同じ感性をしている。


考えてみれば、エリート教育の存在しない周りに合わせ教えられたマニュアル通りの点数稼ぎで平均化された日本で、

本当に突出した人間など成功するはずも無かったんですな。


後出しジャンケンをすると勝つゲームで真っ向勝負して先攻を選び続けるようなものです。


なので、客観的な成功者という幻想を捨て、

自分にスポットを当てて現実を見て、主観的な成功を手にしてください。

2024年8月27日火曜日

芸術と芸能は違うものー芸能は自我のない流されやすい人が向いているー

 なーんか前にも書いた気はしますが、


よく勘違いされている芸術家と芸能人の大きな違いについて書きます。


両方を経ている私からすると、この2つは似ているようで非なるものです。


まず芸能人とは、0から1を生み出す芸術とは違い、既存の事務所(会社)に所属”させて頂き”(日本は)多くのマネジャーや先輩、経理、広告、営業、社長などが培ってきたブランドやひいきにされている取引先(アニメ会社とか配給)とのコネクションを斡旋して”貰う”

バックの力が9割と言っても過言ではないくらいキャストのこだわりや主張を通す余地のないものです。

一昔前であれば、役者が監督と口喧嘩しながら良いものを作り上げていくという事も、世間に対して悪い態度を取ってカウンターする威勢の良い歌手やモデルなんてのも居ましたが、

昨今ではあり得ません。(実際に、バッサリ言う芸能人って消えましたよね。マツコさんも毒舌の有吉さんも丸くなりました。)


現代では、ポリコレを守り、お笑い芸人にも誠実さを要求し、世間一般が行っていても芸能人がやれば炎上し、事務所にも世間にも本当のことを言って楯突いてはいけない

そんな、社畜より社畜しているのがこの業界です。

(あの何十年も芸人としてやってきたマツモトヒトシさんですら民法に引っかかっただけで一瞬でスポンサーが降りてしまう時代です。)


どんなに良いものを作る技術があったとしても、これらの矮小なローカルルールを守れないのでは、スタートに立つことすらできない。

技術はあっても炎上するようなこだわりのある頑固職人ばかり入れては、取引先がビビって仕事を渡せなくなりますから。

(前回も言いましたが、各養成所でも技術ではなくこういった炎上しない人間か?が重要視されています。)



では、芸術家とは?

0から1を創造する、現在ある作り出された流行(トレンド)に乗っかるのではなく、時間をかけて市場側を作り変えていく頑固職人の事です。

どれだけ言い聞かせても曲げない程、自我もこだわりも強いので、当然他人とぶつかることの方が多いですし、

既にあるものを予定調和的で全く新しくないと見做してライン工的なルーティンワークを嫌います。


テレビのタレントでいえば、ネット配信者がいい例です。


配信者側は0の状態から何を行うか自由に計画でき、スポンサーに媚を売らない事もできるし、好き勝手言う代わりに、勝手につく広告だけで稼ぐもよし。

テレビ側はそうも行きません。

今でこそフリーな人とかよくわかんない方向から何か有名な人が出演する機会も増えたとはいえ、

基本的にはまだまだ事務所に参加して、また次も呼んでもらえるような良好な関係を保つ義務がありますので、

個人配信者の様に、この監督性格悪くて嫌いだから次の仕事とか要らないし正論言っちゃお!

とはできません。

(配信者もやがてはこの芸能界の様に会社が増えていけばコネというシマが出来ていって、シマ争いが行われると予想されますが、それでも個人が今から配信できるという即効・自由性が損なわれたワケではありません。)



私も声優事務所にて 今のニーズやこの業界も社会人なんだ!ルール(法律ではなく世間的な)を守れ!という無駄な事がいっぱい書かれた紙を頂きましたが、


なんでまともに社会人もできない様な変わり者の集まりである業界がまともな社会人ぶってんだ(?)

と思っていました。


まともにサラリーマンできないけど個性の強いクリエイターにはなれる、そんな人達の墓場だと思ってたんですけどね。


なので、今の芸能と芸術家の違いは”信用”しかありません。

配信業界は多くの人が関わらないので、アレコレ言ってくる人がいなく、好き勝手しやすい状況はあるものの、炎上の確率も高くなりますが、自由度が高いのでクリエイティビティが上がって面白くもなりやすいです。

芸能はとにかくうるさいですが、一度入ったら色んな人がせっかく入れた一人のキャスト(商品)を無駄にしたくないので売り出してもらえます。あんまり自我のない流されやすい人のほうが向いています。






資本主義は才能の無い人をプロにする偽物製造装置

という、まあまあのタイトルで書き始めたんですが、的を射てるなあと思ったので紹介します。
(書いてることはいつもと同じですがw)


私にとって働くとは、生物としての生きるという事なので、死ななければ生命活動を行っている→働いている
なのですが、

日本の一般的には金を稼ぐ(配信者やトレーダーはいくら稼いでも仕事として断固認めない人もいるので、正確には世間が好む真っ当な肩書を持った上で) という事だと思います。


自分の中で答えが出ているので、もう なぜ働かなければならないのか? について考えることは若い時に終わりましたが、

なぜ人は働くのだろう? という前向きな見地からはあんまり考えていなかったのかもしれません。

現代では、働かなければ金が稼げない=死ぬから 仕方なく働く
仕事とは、人がやりたくないことを代わりに行って対価を得る

9割はこの辺りだと思います。


しかし、金というものが導入されていなかった過去、その世界を想像してみてください。

最低限の生活が保証されます、という状態があって、何もしないただ寝るだけの人というのも少ないんではないでしょうか。
そこで生まれてくるのが趣味です。
金、時間、承認欲求、権利 それらを全て差し引いて残る自我の部分、
これこそが本当の適正であり、才能です。

誰に何を言われようとも絶対に拭うことも止めることもできない核。
私であれば、役者となります。

ここまでの何もしなくていい状況とは、あくまで概念や理論上の説明をしたかっただけで、
でも、何もしなくても良い状況なんてそんな美味しい話ないでしょ
と現実はどうか?と思う人もいるでしょうが、
あるのです。

実際に、フランスではアンテミルタンと呼ばれる収入が不安定な芸術家に対する最低給料を保証する制度もあり、
韓国では、こちらでいう義務教育の中に舞台(俳優)芸術があって、芸術講師になりやすくする体制もあり、
日本でも、なぜか合法であるのにタブー視されてはいるものの、生存権(生活保護)があります。(ハリポタで有名なJKローリングも生活保護でした。)


家系が医者一族で仕方ないから医者になる、
稼がないといけないから、その中で楽そうな絵描きや役者としてチヤホヤされつつ金も得たらいいなと思う、

お金の為に◯◯をする、と言った あくまで 何かを描く事や誰かを救う事が優先度の最上位に来ていないまるで本質的ではない人たちを省く事もやろうと思えば可能になっています。
(タブー視をガン無視してナマポの民として好きなスキルを身につけるとか、実力の高く制度の整っている海外へ行くとか)


実際問題、周りを気にしすぎる人が多いのも、習っているはずの英語ができない人も多く、
海外へ行くこともナマポ民としてやっていく人も極少数なのですが。

嫌なことを無理やり続けて生産性を下げるより、権利を行使して好きなことを伸ばすというのはアリじゃないでしょうか。

2024年8月11日日曜日

芸術で飯を食いたいという不自然で曖昧な言葉は要するに楽して金が欲しいという事

 芸術で飯を食いたい! という言葉はこの界隈でよく耳にする言葉で、


何だかよくわからんが凄い頑張ってるな!と聞こえが良く感じるワードですが、


よくよく考えてみると、芸術で食っていきたいという言葉はとても抽象的で、


”食いたい(金)”なら、正社員として真っ当に働くか、バイトした方が目的は達成されますし、


芸術をやりたいなら、稼がずに自由にやればいい


この2つの条件を足すと、


自分の好きなものを自由にやりたいし、お金も欲しいし、それで安定もしたい!


という事を言っていると。


要約すると、自分の好きな事をして楽して暮らしたい! ということです。



仕事にすると、好きなことを好きなようにはできないですし、


好きなことを好きなようにしようとすると、金がついてこない事の方が多いですし。


冷静に考えると、かなり無茶苦茶な事を言っているんですね。


無論、好きなことを好きなようにして金も欲しいし安定もしたい! という夢幻を、目指すという事は悪いことではありませんし、挑戦してみてもいいです。


が、よっぽど運が良くないと不可能なので、


それであれば最初から本音を隠さずに、楽して金稼ぎたい! と言えばいいんです。それは悪いことではありません。


そして、芸術で金を稼ぎやすくなった今なら、サイトの規約が許す限り、自由に配信プラットフォームを利用して稼ぐことが可能かもしれません。


と言っても、本当に”芸術”で稼いでいる人は世界でも少ないですが。


例えば、ピアノ演奏でも ピアノ演奏だけを厳格に披露して稼いでいる人はごく僅かです。

大抵は、胸を見せたり、足を出したり、踊りながら演奏してみたりと、技術以外をメインにしないとインプレッションを稼ぐことは難しいですけどね。





プロが教える~と書いてあるサイトに有難がる人はセンスがない

 音楽のコンテンツで特に多い、”プロが~”と書いてあるサイトや動画が多いですが、(ブロがーではありませんw)

実際、見に行くと大層な肩書を主張している割には再生回数が少なかったりします。


このブログでは、世に蔓延する”プロ”という不自然で曖昧な指標を細かく解説しており、

”プロ”という言葉は人によって違い、卓越した技術だけを指す事もあれば、単に人気があるだけを指す人もいれば、どうしてもお金がついてこないと認めない人もいますので、

誰もが軽々しく名乗っていい言葉なので、ダメだとは言っていません。


しかし、重要なのは 本質を見ずにプロという肩書を使わないと自分の力も示せない当人と、

それに有難がる意識高い系ネズミ講セミナー常連の方々なのです。


センスがない とタイトルに曖昧な言葉を敢えて使いましたが、

世間や事務所、先輩に喧嘩を売らず、異議を言う事なく自分を出さず関係者との良好な関係こそが全てな芸能とは違い、

本当の芸術とはありふれた世間の流行やコンテンツに乗っからず、人の意見を無視し、自らのオリジナリティで長い時間をかけて市場側を作り上げるもの。


つまり、1を10にするのが芸術ではなく、

0から1を生み出すのが芸術なのです。


なので、既存の誰かに有難がって満足している人は向いてないですし、

それで満足している教祖様もセンスがない、と言えます。


因みにこれは宗教と同じ構造をしているので、

多分 消えることはないと思いますがw

2024年8月6日火曜日

天才はゴミが居ないと成り立たない 芸術は無駄なもの

 某有名vの方が、音楽なんてあってもなくても困らない 一部の天才だけ居ればそれでいい

と言っていましたが、まずこれは事実です。

(多分、芸術が不要という論理的な事実ではなく自身が感じた体験を主軸にして話したかったのだと思いますが)


展開すると、


無能が消えて一部の天才だけが残ると、比較対象を失うのでその人達は天才ではなくなります。


例えば、世界基準でいくと日本人は低身長ですが、

低身長が居なくなれば高身長は”高い”とは言えなくなります。


また、一次産業と言われている人間のライフラインに関わる業種(農家とか)は無くなると人間は死にますが、芸術はなくても死にません。

音楽があるから頑張れるんだ! とかいう頭足りない人も居ますが、これは優先度の話です。

この世から無くなっても困らない順に業種を引いていった時に残るのが農家さんなどの産業だと言うことです。

飢餓状態で音楽を楽しむ事はできません。

裕福な国だからこそ芸術が生まれるのです。


ところで、音楽において有能や天才とは誰の事を指すのでしょうか。


ELTのいつくんさんは、自身のyoutubeチャンネルで音楽理論を知らずに有名な曲を作っていたと言っていますが、

ヒットする曲は作っていて知られているが、知識は無い(勉学的には浅い)という事になります。

(※筆者もELTの曲は好きです)


小室哲哉さんは裏方である作曲家の中でも有名な方ですが、

それでも一般的な人や今の若い人の認知度は恐らく低く、

「この曲は小室哲哉さんという人がこういうコードでこういう理論を使っていて~」

と語り始めたら、多くの人は「何だこのオタク!?」と引かれてしまうでしょう。


モーツァルトやベートヴェンは技術のある音楽家だと思われますが、

義務教育の授業外で好き好んでクラシックを聴くような人間は多数派でしょうか。

皆分かりやすいJPOPを聴いていますね。

技術や理論を体系化した偉人でも授業を義務化しなければ覚えられてすらいないでしょう。



この様に、技術(知識)、金、有名度は全て別方向で、

売れていても技術が伴わなければプロとは認めない人もいれば、

技術があっても有名じゃなければ価値がないと判断する人もいます。



つまり、天才やプロ、才能、神という言葉は現代では定義のない曖昧な言葉で、

軽々しく使うこともできれば、厳格に使うこともできるゆるふわな言葉なのです。


貴方にとって、天才の定義とはなんでしょうか。

金に貪欲になれなければ成功者にはなれない 何者かになりたいおまえへ

 配信者、芸能人、起業家、会社員


現在で成功者と呼ばれる人達には絶対的とも言える共通項があります。


それは、実力でも技術でもなく、”金(数字)”です。


まず、他人が人の人生を評価するとき”結果”で見ます。


この場合の結果とは、目に見える形=数字。


TVや配信で言えば、視聴率。

”面白さ(クオリティ)”という個体差のある感情論を可視化する為の一定指標、つまりクオリティの視覚化を行ったのがコレですが、無理矢理に可視化しただけで技術的な完成度ではない。評価指標の軸を人気や金に設定した場合の話で、


なら、評価指標を技や心に置けばいいじゃないかと考える人もいると思いますが、


例えば、昔の医者は人命救助を優先としていて金銭を受け取らず、物資という形で貰っていたので貧乏でした。

この場合は、善意が最優先されているので心が中心に回っていますが、


資本主義が台頭する前の時代であれば、”実力や技術、愛情”を評価指標する事もできますが、


現在は物々交換による社会構造ではなく、資本主義なので、


社会は金で回っており、山奥ニートの方々にでもならない限り逃れることはできません。

(なっても、多少は税金を払う必要がありますが。)


これは、上で挙げた業種も含め、この社会で生きる全ての人達に必ず干渉していると言えます。


芸能や、配信者、エンタメ系であると”金”ではないご自分の中で咀嚼できていない何かで回っているんだろう

と、お思いでしょうが、例外はなく芸能事務所も”株式会社”であり、

フリーなら個人”事業”主という扱いになります。


結論を言うと、金に貪欲か多少なりとも金持ちになりたい という思想がなければ、資本主義社会では成功者にはなれません。


最近では ”何者かになりたい” という言葉が流行しているらしいですが、


この場合、言い換えると今成功している人達の様に成功者という他人から見たゆるふわな肩書をオシャレ感覚で付け回して人からよく見られたいということなので、

つまり教科書的回答として、

資本主義社会である→金(数字)を持っている→成功者として見られる ←コレが欲しい


それに併せ、

金持ちになれば今の状況を解決してくれる、全てが解決する、金が全てと盲信する人が増えて

日本が拝金主義になった理由は簡単で、国が貧乏になったからです。


しかし、どうでしょうか。

物価は上がり、円安は進み、税金は上がり、全体的な技術も他の国に抜かれ、

経済環境の良い国で作られた安い海外産を買って、

資本や土地をガンガン中国等に買われています。


日本が衰退すればするほど、ここで言う成功者になれる数は減ります。


働けど働けど先は見えない。

多くの日本人が盲信しているこのお金教狂信者たちの夢はいつ叶うのでしょうか。



イラストレーターになって成功したいです という質問がありました。


”成功”とは何でしょうか。


このブログでも再三言っていますが、 人気・技・金 これらは全て別の方向性です。


人気が欲しければ、Xでいいねを稼げることがこの人にとってのゴールであり、

技術であれば、人生を賭けても終わりのない成長こそがこの人にとってのゴールで、

肩書であれば、どこかの会社に入る事等がゴールでしょうし、

金ならば、具体的な目標金額を超えたらソレがゴールになります。


人によって、目標設定が違います。


家庭菜園を始めて、その野菜を売って金が欲しいのか、周りの人に満足してもらいたいのか、自分で食べるのか




重要なのは、自分にとっての目標設定で、

拝金主義者に技術主義を唱えても聞く耳を持たないですし、逆も然り。



金を稼ぐ事が悪い事というより、個人にとって優先度の最上位が”金”なのか、”人気”なのか

という事です。



がおうぱっぱ は意外と悪いことしていないという事を解りやすく法律も交えて弁証してみる

 この件について深く知っているワケでも調べたワケでも無いんですが、そこが逆にメリットなのかなと思い書くことにしました こういうのって、真相は当人しか知らないし、ましてやコレコレみたいな陰湿な負が集まる場所で暴露すると変な尾鰭がつきますね(だからこそ裁判という正式な場があるんですが...